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Old Walker

Author:Old Walker
関西地方を中心にあちこち歩いています。
時には、ぶらりと旅に出たりもします。

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愛宕神社千日詣り

7月31日(水)~8月1日(木)


清滝バス停→愛宕山登山口→清滝口鳥居→火燧権現跡→二十五丁目茶屋跡→五合目休憩所→水尾の分れ→黒門→社務所→愛宕神社本殿→(同じ道を通って下山)→清滝バス停(11Km)

1907-00-愛宕神社-軌跡1907-01-愛宕神社-高度

愛宕神社は、全国に約900社を数える愛宕神社の本社として、京都市最高峰の霊山である愛宕山(h921m)の頂上に鎮座し、古くより火伏・防火に霊験のある神社として知られています。
千日通夜祭(通称千日詣り)は、7月31日夜から8月1日早朝にかけて参拝すると千日分の火伏・防火の御利益があると云われ、毎年数万人の参拝者でにぎわいます。
この千日詣りに、子供の頃から毎年行っているという友人に誘われて、友人3人とお詣りに行くことになりました。今まで、毎年誘われていたのですが、夜中の登山は気が進まないので断っていたのですが、今年で最後にするので是非と言われて、とうとう参加することになりました。
嵐山から清滝までバスで行き、登山口に21時51分に着き、登山開始です。夕方の夕立で、登山道はかなり濡れていて滑りやすくなっていました。表参道には、電球が点灯されていましたが、足元がよく見えないので、ヘッドライトを点けて登りました。
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清滝口の鳥居です。
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登山道はこんな感じでした。
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少し登ると小学校の分教場跡の説明板がありました。今は、人家の殆ど無いところですが、このようなところにも分教場があったのですね。
1907-05-愛宕神社-IMG_2313説明

火燧権現跡を通過します。暗くて何も見えないので、帰りに明るくなてから写真を撮りました。
1907-06-愛宕神社-IMG_2316

下りてくる人もかなりありました。[お登りやす」、「お下りやす」と声を掛け合ってすれ違って行きます。石段の道が濡れて滑りやすく、「お下りやす」が面倒になってきて、声掛けは友人に任せて私はひたすら下を見てゆっくり上っていきました。
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真ん中の二十五丁目の茶屋跡に着きました。あと半分です。
1907-10-愛宕神社-IMG_2322茶屋跡

少し登ると、五合目休憩所です。ここは三十丁目とありますが、何合目と何丁目の関係がよく分かりません。この他にも、消防署の20/40というような標識もありましたが、それぞれ、中間点が違っていました。
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そのすぐ近くに水口茶屋跡の標識がありました。
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少し登った所に、消防分団の20/40の標識があります。
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京都市内が一望できる地点です。24時前なので民家の明かりがだいぶ消えているようです。
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水尾への分岐点「水尾の分れ」に着きました。
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やっと黒門に到着です。
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またまた長い階段を登り、社殿前の門に1時23分に着きました。3時間少々かかりましたが、なんとか登り終えました。
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本殿への階段が続きます。
1907-20-愛宕神社-IMG_2344

社殿内は大勢の人で賑わっていました。
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午前2時から本殿で催される朝御饌祭(あさみけさい)を良い席で見るために、少し前から並んで待っていました。神主さんが全員本殿に上がり、着席後に一般の人も本殿に入って見物できました。千日詣りに何十回と行っている友人の案内で、正面の前の方の席を占めてじっくりと見物出来ました。準備の整った本殿です。
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まず、宮司さんが祝詞を奏上されます。
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神主さんが供え物を次々と運んできて祭壇に並べた後、神楽人の長が「人長の舞」を奉奏されます。人長(にんじょう)は、裾の長い独特の衣装を着け、手には御鏡を模した白い輪のついている榊を持ち、静かに舞います。舞台下では火が焚かれ、厳かに舞が進行します。
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人長の舞(動画)

舞が終わると、宮司さんが鎮火神事を執り行われました。
鎮火神事(動画)


水をかけた後、ヒカゲノカズラを乗せ、その上に石を重ねて鎮火されます。
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1時間ほどで神事は終了し、しばらく境内で休憩後、3時半に下山を開始しました。提灯に照らされた、本殿からの階段です。
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登りと同じ道を下ります。普段は月輪寺の方へ降りるのですが、照明は表参道だけなのでここを降りる他はありません。木の間から朝日が登るのが見えました。5時28分です。
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夜は暗くて良く見えなかった、火燧権現跡です。
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やっと清滝口の鳥居に6時2分着きまし2時間30分かかっています。道が濡れていて滑りやすく、その上、何時もなら寝ている時間なので、どうも体が思うように動かず、3度も滑って尻餅をつきズボンと靴が泥だらけになりましたが、友達に助けられてなんとか下山出来ました。
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この後は、渡猿橋を渡り、清滝のバス停まで歩いて行きます。渡猿橋から見た朝もやに霞む清滝川です。
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嵐山で、天龍寺の蓮の花を見てから電車で帰りました。千日詣りを一度は経験してみようと思って誘いに乗ってしまったのですが、夜間登山はやはりかなり疲れました。でも、朝御饌祭をじっくり見られたのは良かったです。




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トレッキング | 17:05:00 | コメント(0)
神秘の森 荘厳の山 大台ケ原を歩く 西大台編

7月22日(月)曇時々小雨


大台ケ原ビジターセンター→大台教会→西大台入口→七ツ池→開拓跡→開拓分岐→赤い吊橋→中の谷木橋→ビジターセンター(8Km)

軌跡00
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上北山村主催のイベントで、東大台、西大台、自然再生の3種のツアーがあり、毎年開催されていて、今年も7,8,9月の3回あります。西大台は、自然環境保護のため、環境省の利用調整地区になっていて、入山には許可が必要で、人数も制限されています。一度行ってみたいと思っていたのですが、いつも申込受付後すぐに満席になってしまう人気のコースで、参加できずにいました。今年は運良く、友人と一緒に参加できることになりました。
予報では一日小雨でしたが、雨は少し降っただけで、用意していた雨具をほとんど使わずに済みました。西大台は、展望が開けているところはなく、美しいブナやミズナラの林の中を歩くコースで、苔が美しく少し濡れている方が良いようです。日本には1700種の苔があるそうですが、西大台には680種の苔が生えているそうです。

近鉄大和上市駅を9時出発の臨時バスで大台ケ原に向かいました。10時40分に大台ケ原駐車場に着くと、一面濃い霧に包まれていました。
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ビジターセンターで、西大台での注意事項などの事前レクチャー(と言ってもビデオを見るだけでした)を受けて、一年間有効の「立入認定証」と弁当を受取って11時22分に出発しました。1グループ10名以下(ガイドを除く)の制限があり、今日は10人ずつの2組で、各組にガイド1名とサポート役の若い男女のスタッフ2名が付いて歩いていきます。若い人が付いていてくれると安心です。環境省のサイトにあった西大台の案内図です。
1907-02-西大台-西大台ケ原map

案内板の所で、ガイドさんが今日のコースを説明してくれました。
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少し行くと「大台教会」がありました。この教会は、大台ケ原開発の先駆者の一人、古川嵩(かさむ)が明治32年に開設したもので、御神体を持たず自然賛美を教義とする神道系の道場のようなもので、登山者の宿泊所でもあった所です。
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ブナ林の小路を歩いていきます。
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西大台入り口のゲートに着きました。ここで、係の方が一人ずつ許可証と事前登録の名簿を照合しています。コース内を巡視員が巡回していて、出会うと許可証のチェックがありました。
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できるだけ人の手を加えないということで、道も余り整備されておらず、歩きにくいところも多くありました。道の分かりにくいところには、誘導ロープが張られていました。道から絶対にはみ出さないようにという注意を受けています。
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コースは、谷へ降りて行って、違う道を登ってくるようになっていて、その分岐点です。左の道の方が石だらけで急な道で、雨で濡れている時は滑ると危ないので登りに使うようです。今日は右へ行きます。
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大きな石がゴロゴロあり、木の根も出ていて歩きにくい道です。ガイドさんを先頭にゆっくり下りて行きます。
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沢がありました。これを渡ります。雨の後で水かさが多いようです。後尾の二人はサポートのスタッフです。
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霧に霞む林の中を歩いて行きます。
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大きな岩や倒木の間を抜けていきます。
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倒木や岩には苔がびっしり生えています。
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苔の森です。霧に霞んで幻想的な風景です。
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今日のコースで一番川幅の広いところを渡ります。まず、ガイドさんが安全な岩を踏みながら渡り、それに続いて慎重に渡っていきます。渡渉が4ヶ所ありました。
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中間地点の開拓跡に着きました。この辺り一帯はほぼ平坦地で、明治時代に何度か開拓が試みられましたが、厳しい自然条件のため作物が育たず頓挫した跡地です。そのいわれを書いた案内板もだいぶ朽ちていました。
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簡易トイレが設けられていました。トイレはここだけです。
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最後の渡渉です。
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吊橋がありました。定員3名で、順に渡っていきますが、かなり揺れました。
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橋から見た沢です。
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ロープを固定するコンクリートのアンカーも苔で覆われていました。
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そのすぐ先にも同じような定員3名の吊橋があります。
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石がゴロゴロ転がっている急な登りが続きます。最後の登りは歩きにくく、足元を注意しながらゆっくり登りましたが、かなりきつかったです。
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苔に覆われた岩が独特の風景を作っています。
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急な石だらけの道をひたすら登って行き、濃い霧に包まれた駐車場に16時40分に戻ってきました。
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所要時間5時間17分、歩行時間2時間27分、歩行距離8.1Kmでした。所々で、ガイドさんが色々説明してくれて、時間はかかりましたが大変良かったです。西大台は、晴れているときよりも今日のような曇り空のほうが苔の森がきれいで良いのではないかと思いました。初めての西大台、霧に霞む幻想的な風景を堪能でき、とても良かったです。スタッフの皆さん、ありがとうございました。




トレッキング | 16:21:00 | コメント(4)
三上山(近江富士)登山

4月29日(月)曇


JR野洲駅=(バス)=御上神社前→御上神社→天保義民碑→三上山表登山口→割岩→御上神社奥宮→頂上→古代峠→東光寺日陽山→妙光寺山分岐→舗装道出合→田中山登山口→妙光寺山磨崖仏→野洲駅(8.5Km)

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三上山は、琵琶湖を歩いている時や電車の窓からなど、どこからでも良く見える富士山型の美しい姿をした山ですが、今まで一度も登ったことがありません。そのうちと思っていた所、いつもの仲間で連休中に行こうという話になり、曇りですが雨は夕方からの予報なので、皆の都合の良いこの日に行くことにしました。
御上神社前の登山口までバスで行き、まずは神社に参拝しました。御上神社は三上山をご神体として祀り、境内には国宝の本殿のほか、国の重要文化財の楼門、拝殿、摂社若宮神社、木造狛犬(京都国立博物館寄託)など、鎌倉時代の建造物が多く残されています。鳥居をくぐると正面に楼門が見えます。
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楼門の左右には、仁王ではなく刀を持った侍が座っています。
1904-02b三上山-IMG_1419 1904-03-三上山-IMG_1410説明 
美しい拝殿です。神官が祝詞を上げておられました。
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国宝の本殿です。
1904-05-三上山-IMG_1416 1904-06-三上山-IMG_1417本殿説明 
神社を出ると正面に三上山(左)が間近に見えます。
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表登山口より山道に入るとすぐ、天保義民碑への分岐があり、見に行ってきました。由来書と小さな祠がありました。
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表登山道と裏登山道の分岐です。表の方を行きます。
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かなり厳しい上りが続き、しばらく行くと「割岩」という人がやっと通れる細い割れ目が入った大きな岩があります。リュックを背負ったまま入ったら動けなくなりました。
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山頂まで200mの地点です。この先は急坂の手すりのある岩場で、厳しい上りが続きます。
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頂上近くの展望台からは、野洲周辺、その先に琵琶湖、さらに対岸の比叡山などが一望できました
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山頂近くに、御上神社の奥宮があります。
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標高432mの山頂に到着です。下から見ていると楽に登れそうに思っていましたが、急な岩場の連続で、予想外でした。この表登山道がいくつかある登山道の中で一番厳しい道だったようです。
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山頂からは、北尾根縦走路に入ります。さほど急な坂ではないのですが、花崗岩が崩れたズルズルの滑りやすい道で、慎重に下りていきましたが、何度か滑りました。尾根道から振り返ってみた三上山です。
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ミツバツツジがきれいに咲いていました。
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古代峠には、巨岩が積み重なった岩のトンネルがありました。ここで昼食を摂りしばし休憩です。風が吹いてきて、少し寒かったです。
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その先は、巨岩だらけでした。
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東光寺日陽山に到着しました。
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三上山が正面に見えます。
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近くに見える山は岩だらけです。
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妙光寺山への分岐を通り過ぎていきます。
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田中山がすぐ近くに見えます。
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この先で、舗装道路に出ます。縦走路はここから田中山へと続いていますが、そちらへは行かずに舗装道路をそのまま野洲駅方面へと降りていきました。
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途中に、妙光寺山磨崖仏入口があり、行ってみることにしました。片道400mの山道を登っていきます。
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大岩の重なった祠がありました。
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鎌倉時代のものという、巨岩に彫られた磨崖仏です。
1904-35-三上山-IMG_1501 1904-36-三上山-IMG_1499説明 
来た道を戻り、元の舗装道路に出てしばらく歩いていくと野洲駅に到着しました。
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標高、距離ともさほどない山ですが、登りは厳しい岩場で、樹走路はズルズルと滑る道でした。底の少し軟らか目のトレッキングシューズを履いていったのですが、底の硬い登山靴のほうが良かったかなと思います。 天気は、予報通り一日中曇でしたが、雨には降られず、霞はかかっていなくて琵琶湖などが一望でき、気の合う仲間と楽しい一日を過ごすことが出来ました。



トレッキング | 17:01:00 | コメント(0)
美山スノーシューハイク

2月13日(水)曇


京都・南丹市の美山町自然文化村主催のスノーシューを体験するイベントに参加しました。美山町は、「かやぶきの里」として知られていて、毎年秋に開催される、かやぶきの里ワンデーマーチには何度か参加したことがありますが、冬には初めて訪れます。
京都駅から、文化村のマイクロバスで美山へ向かいます。高速道を通らずに、高雄の方から国道で行くので2時間近くかかりました。今年は雪が少ないようで、かやぶきの里やその先の自然文化村にはほとんど雪は積もっていませんでした。自然文化村の河鹿荘で、2名のネイチャーガイドの方の紹介とスノーシューの装着の仕方、歩き方などの説明がありました。スノーシューは、見るのも初めてですが、意外と大きいものでした。急な坂を昇り降りするのには、日本の輪かんじきが向いているが、比較的平坦な道を歩くにはスノーシューの方が良いそうです。
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そこからバスでさらに15分程山に入ると、かなり雪が積もっていました。
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ここで、河鹿荘特製の弁当を食べました。鹿肉コロッケや地鶏の照り焼きなど美山産のものを主に使った弁当で美味しかったです。昼食後、スノーシューを装着し、14名の参加者で出発します。
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ほとんど踏み跡のないこの林道を歩いていきます。
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所々で、ガイドの方が植物や昆虫などについて説明をして下さいます。
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台風による倒木がかなりありました。
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急斜面では、簡単なソリを使って滑って遊びました。童心に帰って皆楽しそうです。
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ソリを使わずに、お尻で滑るのもありました。
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林の中も歩きます。
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歩行距離は4Kmほどでしたが、ベテランのガイドの方の説明や色々なお話も面白く、スノーシューの歩き方、急斜面の降り方、登り方など色々経験し、ソリ遊びもあって、大変楽しい一日でした。 ガイドの皆さん、どうもありがとうございました。
春からは、芦生の森ハイキングツアーもあるとのこと、参加してみたいです。




トレッキング | 12:39:28 | コメント(2)
初登り&豚汁 (ちはや園地)

1月6日(日)曇一時小雪


南海・河内長野駅→(バス)→金剛山登山口→千早城址への分岐→七曲がり→楠木正儀の墓→5合目→ちはや園地香楠荘→金剛山頂上(国見城跡:h1125m)→転法輪寺→葛木神社→ちはや園地金剛山キャンプ場→伏見峠ルート→金剛山ロープウェイ前バス停(9.0Km)→(バス)→河内長野駅

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日本パークレンジャー協会主催のイベントで、金剛山に登り、ちはや園地のキャンプ場で、豚汁と芋ご飯を頂きます。毎年開催されている大変人気のイベントで、申込開始から20数時間で30名の定員一杯になったそうです。友人二人から誘われて参加することにしました。少々不安もあったのですが、10名ずつの班に分かれて、それぞれにパークレンジャーの方が2,3名ずつ付いて下さるし、若くてタフな友人2人と一緒なので何とかなるだろうと、簡易アイゼンなど簡単な冬山の装備を整えて出掛けました。当初の雨の予報も無くなり、時折薄日の差すまずまずの天気で、日中はそれほど寒くもなく良かったです。
河内長野駅で、登山口行きのバスを待ちます。ビワイチの超タフな人達と一緒です。
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登山口の広場で、受付を待っています。じっとしていると寒いです。
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受付を済ませ、パークレンジャーの方の紹介、簡単なストレッチなどの後、班に分かれて出発しました。私は、登りは遅いので、後ろの方でゆっくり登っていきます。友人2人も付き合ってくれて助かります。
鎌倉時代末期に楠木正成が築いた山城である、千早城への分岐ですが、今日はこちらへは行かず直進です。
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楠木正成が築いたもう一つの山城、楠木城跡(上赤坂城跡)への道標がありました。
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道の途中に、楠木正儀の墓がありました。正儀は楠木正成の三男で、この墓は1680年の建立だそうです。
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急な木の階段がずっと続いています。
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5合目に到着。しばらく休憩です。
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誰が立てたか、ウルトラマンとバルタン星人の碑がたっていました。
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所々に、路傍のお地蔵さんがありました。
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8合目です。さらに木の階段が続きます。このルートは、大半がこのような階段です。
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文部省による[史跡金剛山」の碑と、案内板がありました。
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いよいよ雪の道になってきました。この先で、アイゼンなどの滑り止めを付けました。
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頂上近くのちはや園地内の村営宿泊施設香楠荘前の広場に着きました。
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少し登ると頂上の国身城跡です。
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ライブカメラに写っている、金剛山頂1125mの看板です。霧氷がきれいです。
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周り一面の木々は、美しい霧氷に包まれていて、素晴らしい景色です。霧氷を見るのは初めてで、これだけでも登ってきた価値があります。
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香楠荘前広場に戻り、その先にある転法輪寺に参拝しました。このお寺は、奈良時代から続く葛城修験道場です。
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ここから、葛木神社に向かいます。参道にある[福石」です。
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参道の階段です。滑りやすいので慎重に登っていきます。
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葛木神社に参拝しました。665年(天智天皇4年)に役行者が、長い修行の後、金剛山頂に金剛山転法輪寺を建立し、その際自身の祖神である一言主大神を祀る葛木神社を鎮守としてあわせ祀り、金剛山を神仏混淆の霊峰としたのが始まりと言われています。金剛山の本当の山頂は、この神社の裏にあるそうですが、神域で立入禁止になっているため、国見城跡を山頂としているようです。
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ここから、ちはや園地のキャンプ場へ向かいます。途中で、葛城山が良く見えました。
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このあたりも、ヒノキの霧氷が見事です。
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樹齢500年という仁王杉です。
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この先のキャンプ場で、レンジャーの方々が作られたた、温かい大盛りの豚汁と芋ご飯のおもてなしがあり、大変美味しくいただきました。ただ、丁度小雪が舞出し、椅子、テーブルに積もって、座ると冷たいので立ったまま食べました。
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ここで解散で、ケーブルで降りる人、歩いて下りる人に分かれてそれぞれ下山します。私たちは、伏見峠を通って下山しました。コンクリート舗装の歩きやすい道ですが、雪があると凍っていて滑りやすいので注意が必要です。
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路傍に、樹齢300年というトチノキの大木がありました。
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伏見峠コースの登山口に降りてきました。
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所要時間4時間58分、歩行時間2時間33分、歩行距離9.0Kmでした。この後は、バスで河内長野駅へ向かい、帰宅しました。
頂上付近の積雪は、数cmで割に楽に歩けましたが、気温は低く、霧氷が大変綺麗でした。レンジャーの方々方には、各グループの引率、所々での自然や史跡などの説明、豚汁、芋ご飯の準備など、色々とお世話していただきありがとうございました。大変良いイベントで、人気の理由がわかります。




トレッキング | 19:06:15 | コメント(2)
新緑の六甲越え 六甲ケーブル下駅から有馬温泉へ

5月1日(火)晴時々曇


六甲道駅=六甲ケーブル下駅→油コブシ道→全山縦走路→みよし観音→六甲ガーデンテラス→六甲最高峰→魚屋道→有馬泉源公園→金の湯→有馬温泉駅(15Km)

1805-00a-六甲山-軌跡 1805-00b-六甲山-高度

新緑の美しい季節、私には初めての六甲山を、いつもの仲間5人で歩きに行きました。今日の案内人は、六甲全山縦走を何度も経験していて、六甲山を知り尽くしている若い二人です。高齢者3人の体力などを考えて、歩きやすいコースを考えてもらいました。
JR六甲道駅からバスで六甲ケーブル下まで移動して、8時30分に油コブシ道を登り始めました。
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林の中をゆっくり登っていく道ですが、階段が多いです。
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油コブシ(h626m)には、岩の間に三等三角点がありました。
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寒天山道との分岐点です。
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ケーブル山上駅近くの車道に出ました。しばらく車道を歩いてガーデンテラスに向かいます。
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詳しい道標がありました。
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新緑がきれいです。
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しばらく全山縦走路を歩いていきます。
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みよし観音です。この観音は、1964年の航空機事故で、乗客救出中に殉職したスチュワーデスをたたえて建てられたものです。
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石切道(右)との分岐点です。「御影石」は、このあたりで切り出されて、御影浜から出荷されていたそうです。
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ガーデンテラスに着きました。見晴らしの良いところですが、黄砂なのか霞んでいて大阪湾などはかすかに見える程度でした。11時で少し早いですが、霞んだ下界を眺めながらここで昼食を摂りました。
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目の前には、アンテナが立ち並んでいました。
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ここから縦走路を通って六甲山最高峰へと向かいます。
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標高931mの六甲山最高峰に到着です。
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一等三角点は、大きな岩の上のプレートにありました。
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今通って来たガーデンテラス前のアンテナ群が霞んで見えます。
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魚屋道を通って有馬温泉へと下って行きます。
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小石がゴロゴロ転がっている、「太陽と緑の道」という急な坂道が続きます。
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温泉街までの中間地点を通過です。
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丁度1時間で登山口に着きました。
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このあたりでは、かつて温泉が湧き炭酸ガスが発生していて、鳥や虫が死んだため鳥地獄、虫地獄などと呼ばれていたそうで、石柱には「とりちこくたんさん水」と書かれていて、その横には小さな祠がありました。
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その少し先に炭酸泉源がありました。飲んでみると、確かに炭酸水の味でした。
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聖徳太子の開基と伝わる極楽寺です。
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赤茶色の金泉の泉源・御所泉源です。
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この後、金の湯で疲れを癒やしてから、電車で帰宅の途に着きました。
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金の湯までの所要時間5時間50分、歩行時間3時間46分、歩行距離14.5Kmでした。
六甲山は自宅から遠いので、ベテランの2人から何度も誘われながらいつも避けていて、今までほとんど歩いたことがなかったのですが、今日は、新緑の美しいを六甲山を、親切な案内で楽しく堪能しました。六甲山は、思っていた以上に高い山でしたが、比較的楽に登れました。多彩な山歩きのコースがあるようなので、また行ってみたいと思っています。今日は、案内人のお二人にすっかりお世話になりました。



トレッキング | 11:12:00 | コメント(2)
京都トレイル 比叡山コース

4月28日(土)晴


出町柳駅→浄土寺橋→地龍大明神→瓜生山→石鳥居→水飲対陣跡碑→ケーブル比叡→スキー場跡→浄土院→西塔→玉体杉→横高山(h767m)→水井山(h791m)→仰木峠→ボーイスカウト道→戸寺バス停(20Km)

1804-00a-京都トレイル-軌跡 1804-00b-京都トレイル-高度 

連休初日、いつもの仲間5人で京都トレイルを浄土寺橋から大原戸寺まで歩いてきました。比叡山までは一度歩いたことがありますが、その先は初めてです。
出町柳駅を8時7分に出発して、比叡山コースの起点である浄土寺橋へ向かいました。東山52-1を8時32分にスタートし、北白川の住宅地を抜けていきます。
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バプテスト病院横から山道に入り、瓜生山へと登っていきます。
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間もなく地龍大明神です。この神社は、山祇神社の分社で、瓜生山の主神だそうです。
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しばらく登っていくと、東山三十六峰の七番・茶山に着きました。
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黄砂なのか、だいぶ霞んでいましたが、木の間から北白川方面が見えました。
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石切場跡です。ここから切り出して、運び出すのは大変だっただろうと思います。
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瓜生山頂に着きました。室町時代には、ここに城が築かれていたそうです。山頂には、小さなお堂が建っています。
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お堂の裏には、勝軍地蔵が置かれていた石室が残されています。
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昨日の雨で少し荒れた山道を登っていきます。
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眺望が開けて、岩倉方面?が見えます。遠くの山中に市原のクリーンセンターが見えています。
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ヤマフジの花が咲いていました。
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歩きやすい、少し広い道に出ました。
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石鳥居に着きました。
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少し休憩して、ここから雲母坂へと下っていきます。
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音羽川を渡ります。
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川を超えてまた登っていくと、雲母坂との合流地点、水飲対陣跡に出ました。石碑の文字が以前ははっきり読めたのですが、苔が生えたりして読みにくくなっています。
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東山コースの最後、ケーブル比叡に到着です。眼下には、宝ヶ池方面が見えています。
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人工スキー場跡です。5年くらい前までは、朽ちかけた貸しスキー店などの建物や、リフトの支柱が残っていたのですが、これらはすっかりなくなっていました。
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延暦寺西塔へと向かいます。
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つつじヶ丘展望台に出ました。ツツジはまだ咲き始めで、大部分が蕾のようです。
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これから登る横高山と、その先遠くに比良山が見えていました。
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展望台に並んでいる石仏です。ここは「北山4」です。
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暫く歩くと、鎮護国家の碑がたっています。この碑は、昭和5年に建てられたもので、仏教により国家を守護するという思想を表し、比叡山を開いた伝教大師最澄の考えでもあったそうです。この横の道を下ると八瀬に出ます。
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奥比叡ドライブウェイの上を越えて西塔に向かいます。
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伝教大師の御廟がある浄土院です。
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西塔の駐車場では、丁度今日から6日まで「さくら祭」が開催されていました。今年は、ここでも桜は早かったようで、殆ど散っていました。無料の抽選が有り、慈鎮和尚の歌が書かれた、書家・川瀬みゆきデザインの扇子が当たりました。
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椿堂です。
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修行のお堂である、にない堂です。
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西塔の本堂である、釈迦堂です。
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仰木峠まで5.6Kmです。
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玉体杉に着きました。この道は、回峰行者が通る行者道です。
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今通ってきた、比叡山がだいぶ遠くになりました。
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いよいよ横高山への急な登りに差し掛かりました。
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木の根っこが出ている、歩きにくい急な道です。
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横高山(h767m)に着きました。短い距離ですが、急坂でしんどかったです。
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一旦下って、また水井山への急坂を登っていきます。
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京都トレイルの最高峰、水井山(h794m)にやっと着いて、しばらく休憩です。
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仰木峠へと下ってきました。
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ここからは、ボーイスカウト道の長い急な坂を一気に下っていきます。
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この道は旧若狭街道で、鯖などを京都へ運んだ幹線だったようです。
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やっと登山口・北山22に下りてきました。
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今日のゴール、戸寺バス停はそのすぐ先で、16時41分に着きました。
所要時間8時間34分、歩行時間5時間1分、歩行距離19.5Kmでした。
今日は天気も良く、気温もそれほど上がらず、歩きやすい気候でしたが、急坂のアップダウンが激しく、最後はバテ気味でやっとゴールにたどり着いた感じでした。でも、いつもの仲間と休憩を取りながら、ゆっくりと賑やかに楽しく歩きました。次回は、1日に同じメンバーで六甲山を歩く予定です。



トレッキング | 09:40:32 | コメント(2)
岐阜・金華山
4月10日(火)晴

(JR岐阜駅=)岐阜公園→ロープウェイ山麓駅→瞑想の小径登山道→山頂・岐阜城(h329m)→ロープウェイ山頂駅→七曲登山道→岐阜公園→長良橋→川原町→岐阜公園(=JR岐阜駅)(7Km)

1804-00a-金華山-軌跡 1804-00b-金華山-高度 

晴天で暖かく穏やかな一日、最後の18切符を使って岐阜へ行ってきました。東海道線の電車から、金華山と山頂の岐阜城がよく見えますが、岐阜の街は訪れたことがなく、以前から一度行ってみたいと思っていました。岐阜駅に着いたら12時で、駅前で昼食を済ませ、時間があまりないのでバスで岐阜公園に向かいました。岐阜駅前には、金ピカの信長像がそびえていました。
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岐阜公園は、良く整備された美しい公園です。
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この公園は、この地にあった神道中教院で演説を終えた板垣退助が襲われた、いわゆる岐阜事件の現場で、板垣退助の銅像が立っていました。ただ、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだということについては、諸説あり、内藤魯一が事件時に叫んだ言葉だとか、実際には土佐弁で叫んだとか、「痛い、医者を呼んでくれ」と言ったという説もあるそうです。
1804-03-金華山-IMG_3902 1804-04-金華山-IMG_3901 説明 
白藤が満開でした。
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ロープウェイ乗り場前の八重桜も満開で綺麗でした。
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金華山には多数の登山道がありますが、その中でよく利用されている瞑想の小径から登り、七曲登山道で下りることにしました。ロープウェイ乗り場横から登ります。案内板が整備されていますが、後半は急坂できついと書いてありました。
1804-07-金華山-IMG_3906 説明 1804-08-金華山-IMG_3907 
最初は普通の山道です。全長2300mあります。
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少し登ると、一番急で距離の短い馬の背登山道との分岐点に出ます。馬の背の入口には、噂に聞く「老人には無理」の看板がありました。老人や幼児にも色々あると思うのですが、一律「無理」と言われると、無理かどうか行ってみようと思ってしまいます。でも、今日はまほろばの疲れが残っていて、登山靴も履いてこなかったので、急坂の岩場は敬遠して、そのまま瞑想の小径を登ります。
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瞑想の小径も後半は急な階段や岩場になってきて、休み休みゆっくり登ります。この道が、なぜ「瞑想の小径」なのか分かりませんが、とても瞑想などしてられない急坂です。
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所々で視界が開けて、岐阜の街が一望できます。
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やっと山頂(h329m)のお城の前に到着です。ゆっくり登ったので、1時間15分もかかりました。
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金華山頂に建っている岐阜城は、鎌倉時代に築かれたのが最初で、後に織田信長が天下統一の本拠地にしたことで有名ですが、1600年に落城し、廃城となりました。現在の城は、昭和31年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、中は資料館で、最上階は展望台になっています。70歳以上は入場無料とのことで、ありがたくただで見学してきました。入口横に櫓時計の複製品が置かれていました。
1804-16-金華山-IMG_3932 1804-17-金華山-IMG_3931 説明 
岐阜城の由来書です。
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金華山はまわりに高い山などがなく、山頂の城からは四方が見渡せて、長良川や岐阜の街がよく見えました。ただ、残念ながら霞んでいて、遠くのアルプスの山並みなどは殆ど見えませんが、肉眼では雪を被った山がかすかに見えていました。
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お城から、階段の道を降っていくと、ロープウェイ山頂駅とその向かいにあるリス村の前に出ました。
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リス村の左手に七曲登山道の下山口があります。この道は、岐阜城の大手道だったというだけあって、道も広くてなだらかな坂道でした。
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快調に下りていくと、27分で岐阜公園に着きました。
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振り返ると、お城が小さく見えました。
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古い町並みが残っているという、長良川近くの川原町を見に行きました。
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長良橋横には、鵜飼観覧船乗り場がありました。
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川原町の町並みです。銀行のATMも町並みに合わせてありました。
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この後、岐阜公園前からバスで駅に向かい、帰宅の途に着きました。各停電車で帰ると3時間半ほどかかります。
金華山は、町の真ん中にありながら、様々な登山道が整備されていて、良いところでした。もう少し時間があれば、ゆっくり見て回れるところですが、18切符で日帰りとなるとあまり時間がなく、少し急ぎ足の観光でした。時間があれば、犬山城にも行ってみたいところですが、こちらは次回に残しておきます。




トレッキング | 19:00:00 | コメント(0)
山を登る会 第987回 柳生街道
2月25日(土)曇

近鉄奈良駅→滝坂の道→首切地蔵→峠の茶屋→円成寺→夜支布山口神社→南明寺→阪原峠→疱瘡地蔵→柳生の里→阿対の石仏→笠置山→笠置駅(23Km)


1802-00a-柳生街道-軌跡 1802-00b-柳生街道-高度

山を登る会に参加して、柳生街道を歩いてきました。柳生街道は、奈良市街地から柳生まで通じる古道で、沿道に誓多林(せたりん)、忍辱山(にんにくせん)など、インドの聖地に見立てた仏教由来の地名が今でも残っていることから、奈良・平安時代には既に山岳仏教の道場となっていたと考えられています。
9時少し前に、近鉄奈良駅に着くと、地下の改札前に大勢の人が集まっていました。
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コース説明などのあと、参加者88名で9時12分に出発し、行基像の前を通り奈良公園へと向かいます。
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曇り空のもと、興福寺の境内を抜けていきます。
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餌をねだる鹿の脇を歩いていきました。
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滝坂の道に入り、緩やかな坂を登っていきます。
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江戸時代に敷かれたという石畳の道がしばらく続きます。荷車によって削られた轍の跡が残っています。
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しばらく登っていくと、左手の崖に彫られた夕日観音、その少し先に朝日観音があります。
1802-07-柳生街道-IMG_3077 1802-08-柳生街道-IMG_3080 1802-09-柳生街道-IMG_3079説明 

この道は、東海自然歩道に指定されていて、道標が所々にあってわかりやすいです。
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首切地蔵の前にある、木板に彫られた案内板です。
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首切地蔵です。
1802-12-柳生街道-IMG_3083 1802-13-柳生街道-IMG_3084説明 

さらに峠の茶屋まで登っていきました。緩やかな上り坂でそれほど高くまで登った気がしないのですが、GPSの高度を見ると、100m から480m まで標高差380mを登っていました。しばらくアップダウンのある檜林の道を進んでいきます。
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東海自然歩道の道標のある辺りが、今日の最高地点489mでした。
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林の中を下っていきます。
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忍辱山(にんにくせん)円成寺に11時46分着き、この池の畔で昼食を摂りました。「忍辱」とは、菩薩の修行すべき六つの徳目をあらわす菩薩行六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)のひとつで、いかなる身心の苦悩をも耐え忍ぶというということを意味しているそうです。
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しばらく下っていくと、大柳生の里に出ます。
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大柳生の里を見渡す高台に立つ、夜支布(やぎう)山口神社です。
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大柳生盆地を眺めながら歩いていきます。
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道端に水木古墳がありました。
1802-21-柳生街道-IMG_3097 1802-22-柳生街道-IMG_3098説明 
鎌倉時代に建立されたという、南明寺です。今は、本堂だけが残っています。
1802-23-柳生街道-IMG_3099 1802-24-柳生街道-IMG_3100説明 

柳生城主の柳生宗矩の側室となった村娘・お藤の逸話が残る「おふじの井戸」です。
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この井戸を過ぎたあたりから、阪原峠(かえりばさとうげ)へと登る激坂が続きます。この登りはきつかったです。
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標高364mの阪原峠を超えると、倒木の多い激坂の下りです。
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下りきった所に疱瘡地蔵がありました。
1802-28-柳生街道-IMG_3108 1802-29-柳生街道-IMG_3106説明 

柳生の里の案内図がありました。
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八坂神社です。
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笠置への道の道標が出てきました。
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柳生藩家老屋敷です。門と母屋です。
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屋敷は立派な石垣の上に建っていて、外からは見えません。
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舗装道路を外れて、阿対の石仏への山道を行きます。
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阿対(あたや)の石仏です。
1802-37-柳生街道-IMG_3127 1802-38-柳生街道-IMG_3128説明 

再び舗装道路へ戻ったあと、笠置山への道に入り登っていきます。
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頂上近くにある、1890年創業の料理旅館[松本亭」の前へ出ました。
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その前に案内板がありました。
1802-41-柳生街道-IMG_3132案内板 
急坂を下って行き、登山口に出ました。ここから駅まではすぐです。
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15時13分に笠置駅に着きました。関西線の列車は1時間に1本で、15時28分の列車に乗って帰宅しました。先頭集団は、1時間前の列車で帰ったようです。
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所要時間6時間丁度、歩行時間5時間8分、歩行距離23.1Kmでした。
今日は、一日中薄曇で、山の中は5℃くらいで寒かったですが、里へ降りてくると10℃くらいになり、歩きやすかったです。滝坂の道は何度も歩いていますが、柳生まで歩くのは初めてです。思っていたよりずっとアップダウンが激しく、柳生の里への最後の峠越えは、道はよく整備されていましたが、びっくりするほどの激坂でした。矢貼の他に東海自然歩道と柳生街道の道標がしっかりしていて、道に迷うことはなくゴールに着きました。スタッフの皆さん、ありがとうございました。




トレッキング | 09:50:00 | コメント(4)
山を登る会 第980回 大和三山
1月7日(日)曇

大和八木駅→耳成山→醍醐池→藤原宮跡→香久山→本薬師寺跡→畝傍御陵前駅→若桜友苑→畝傍山→橿原神宮→橿原神宮前駅(14Km)

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1801-00b-大和三山-高度

山を登る会としては珍しく殆どが平坦地で、山と言っても一番高い畝傍山が標高199mという低山巡りです。大和三山は今まで何度か歩いたことがありますが、いつもと多少は違った道を歩くかなという期待を持って参加しました。
今日も曇り空で寒い一日でしたが、風がなく昨日よりは少し気温も高い感じで、歩きやすいでした。9時の集合時間に合わせて八木駅に行きました。
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何処かで電車が遅れているとかで、しばらく待ってスタートは9時23分でした。まず、耳成山へと向かいます。
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登山口です。
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登山道は、耳成山口神社の参道になっています。
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山口神社の拝殿とその奥の本殿です。この神社は、大和国の山口社六社のうちの1社です。
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山頂(h139m) には三角点があります。
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下りは違うルートを通ります。。
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藤原宮跡を横切っていきます。
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耳成山と、遠くに二上山、葛城山、金剛山が見えます。
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香久山の登山口に着きました。
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歩きやすい登山道です。
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山頂(h152m) には、国常立神社があります。
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山頂からの眺めです。
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万葉の森に向かって下りていきました。
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本薬師寺跡のホテイアオイ畑です。きれいに耕されていました。満開になると、下の写真(昨年9月撮影)のようになります。
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本薬師寺跡の礎石と石碑です。
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畝傍御陵前駅を地下道を通って抜けていきます。
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橿原神宮の神域に入り、戦没者慰霊碑の立つ若桜友苑で昼食休憩です。
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この奥の登山道から畝傍山に登ります。この道は初めてです。
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かなり険しい山道で、滑りやすい岩場もありました。畝傍山にこのような登山道があるとは、ちょっと驚きです。
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山頂(h199m) に、畝傍山口神社の社殿跡碑が立っていました。
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三角点もあります。
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下りはおなじみの歩きやすい登山道で、橿原神宮の参道に出ます。
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神宮の拝殿です。参拝客が結構多いです。
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神宮前駅に、先頭に30分遅れて13時01分に着きました。
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所要時間3時間38分、歩行時間2時間58分、歩行距離14.1Kmでした。
大和三山は久しぶりです。畝傍山だけが登山の感じでしたが、あとはおなじみの道でした。小さな神社が沢山あり、順に参拝してきました。




トレッキング | 14:31:42 | コメント(4)
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