FC2ブログ
 
■プロフィール

Old Walker

Author:Old Walker
関西地方を中心にあちこち歩いています。
時には、ぶらりと旅に出たりもします。

■最新記事
■最新コメント
■全記事表示リンク
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■ブロとも申請フォーム
■検索フォーム

■リンク
■カウンター

弘法大師生誕の地・善通寺

12月9日(月)晴


1912a-00-善通寺map

こんぴらツーデーの翌日午前中に、弘法大師空海生誕の地という、四国霊場第75番札所である善通寺を見て回りました。善通寺は、JR琴平の一駅多度津寄りにある善通寺駅から約1Km程行ったところにあります。善通寺駅に荷物を預けて、駅前の通りを西へ歩いて行くと善通寺の東門(赤門)に着きました。
1912a-01-善通寺-IMG_4124

境内案内図です。総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています
1912a-02-善通寺-IMG_4165

門を入ると釈迦堂の前に出ます。ここには、釈迦如来と十大弟子が安置されていて、正面には仏足石が置かれています。
1912a-03-善通寺-IMG_41281912a-04-善通寺-IMG_4132

その隣には五重塔が聳えています。基壇から相輪まで約43mあり、国内の木造塔として3番目の高さを誇ります。創建以来、倒壊、焼失により再建を繰り返し、明治35年(1902)に完成した現在の五重塔は、4代目だそうです。
1912a-05-善通寺-IMG_4138m1912a-06-善通寺-IMG_4134説明

五重塔前には、弘法大師幼少の頃からあったのでは、という樹齢千数百年の大楠があります。
1912a-07-善通寺-IMG_41351912a-08-善通寺-IMG_4136

金堂です。
1912a-09-善通寺-IMG_41401912a-10-善通寺-IMG_4141

本尊の薬師如来です。
1912a-11-善通寺-IMG_4143

広々とした境内です。
1912a-12-善通寺-IMG_4149

境内を取り囲むように、塀に沿って五百羅漢が並んでいました。
1912a-13-善通寺-IMG_4147

西院(誕生院)の正門である仁王門です。金剛力士像は南北朝時代のものです。門の反対側には、大草履が納められています。
1912a-14-善通寺-IMG_41521912a-15-善通寺-IMG_4169

仁王門から御影堂に向かって廻廊が続いています。
1912a-16-善通寺-IMG_4153

弘法大師の御影を安置した御影堂です。御影堂のある誕生院は、弘法大師空海が生まれた佐伯家の邸宅跡に建てられた寺院で、大師信仰の聖地になっています。
1912a-17-善通寺-IMG_41561912a-18-善通寺-IMG_4157

御影堂の右手には不動明王を祀る護摩堂があります。
1912a-19-善通寺-IMG_4159

西院の一番奥にはパゴダ供養塔が建てられています。ここには、太平洋戦争中にビルマ戦線で亡くなられた18万有余の人々、また、ビルマ国独立のために戦死した人々、イギリス・インド軍の戦士の霊が合祀されています。
1912a-20-善通寺-IMG_4163

東院へ戻り、善通寺の正門である南大門から外へ出ました。現在の門は、明治41年に再建されたものです。
1912a-21-善通寺-IMG_4175

駅へ向かう途中にある観光交流センターに立ち寄って、うどんの美味しい店を紹介してもらいました。善通寺市にはうどん店が多数あり、「さぬきうどんマップ」もありました。近くの紹介された大川製麺所(19)に行きました。製麺所の工場で注文して、道路沿いの小さな店舗で食べるようになっていました。安くて、大変美味しかったです。
1912a-22-善通寺-善通寺うどんマップs1912a-23-善通寺-IMG_4177

食事の後は、駅まで歩いて次の特急で帰途に着きました。



スポンサーサイト



個人的ウォーク | 11:18:08 | コメント(0)
琴平散策

12月6日(金)


JR琴平駅→高燈籠→金陵の郷→琴平町公会堂→旧金毘羅大芝居(金丸座)→松尾寺→琴平歴史民俗資料館→金刀比羅宮神事場

1912-00-琴平-map

こんぴらしあわせツーデーウォークの前日(6日)は、2時過ぎに琴平に着いたので、宿に荷物を預けて琴平市内の見物に出かけました。
JR琴平駅です。この駅舎は、昭和11年(1936)竣工で、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されています。
1912-01-琴平-IMG_3957

駅から温泉街へ向かう道沿い、琴電琴平駅の隣に[金比羅宮北神苑」があり、その中央に高燈籠がそびえています。
1912-02-琴平-IMG_39581912-03-琴平-IMG_40111912-04-琴平-IMG_40121912-05-琴平-IMG_4013

温泉街の旅館に荷物を預けて、金比羅宮表参道へ向かいました。まず、その入口近くにある酒造資料館「金陵の郷」を見学しました。寛政元年(1789)創業の金陵の酒造庫に昔の酒造道具や酒造りの様子などを展示してあり、灘の資料館に匹敵する規模の資料館です。中庭の中央には楠の大木が茂っていました。
1912-06-琴平-IMG_39591912-07-琴平-IMG_3964

酒造りの様子を、精巧に作られた蝋人形を使って展示してあります。
1912-08-琴平-IMG_39621912-09-琴平-IMG_3963

金比羅宮へは、翌日のツーデーウォークで行くので、参道の途中から金毘羅大芝居の方へ行きました。
1912-10-琴平-IMG_39661912-11-琴平-IMG_3967

海の科学館前を通り少し南へ行くと、昭和7年に建造された木造日本建築の公会堂があります。玄関横にある燈籠は、元禄7年(1694)建立だそうです。公会堂は国の登録有形文化財で、現在も各種催しや集会などに使用されています。
1912-12-琴平-IMG_39691912-13-琴平-IMG_39711912-14-琴平-IMG_3974

坂道を登っていくと、旧金毘羅大芝居・金丸座があります。これは、天保6年(1835)に建てられた、現存する日本最古の芝居小屋で、国の重要文化財に指定されています。金毘羅大芝居は、歴史民俗資料館の場所に建てられ、江戸時代には大変賑わっていたそうですが、昭和になって寂れてきて、映画館になったりしたようです。昭和47年から4年の歳月をかけて現在の地に移築復元され、昭和60年から毎年春に、人気役者を集めて「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されています。
1912-15-琴平-IMG_39761912-16-琴平-IMG_3975

内部は江戸時代そのままに復元されていて、舞台上には顔見世提灯が並べられています。天井は竹で編んだ網目状になっていて、上から紙吹雪を散らしたりできるようになっています。
1912-17-琴平-IMG_39851912-18-琴平-IMG_39871912-19-琴平-IMG_3981

奈落に降りると、全て木造で、セリや廻り舞台も人力で動かすようになっています。
1912-20-琴平-IMG_39831912-21-琴平-IMG_3984

入口の鴨居には、年毎の演題と役者名が書かれた額が上がっています。錚々たる役者が並んでいます。
1912-22-琴平-IMG_39881912-23-琴平-IMG_3989

そこから降りて行く途中に象頭山金毘羅大権現を祀る松尾寺があります。金比羅宮は、中世以降に琴平神社と仏教の金毘羅が習合して真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれるようになりました。明治元年の神仏分離令で金刀比羅宮と改称して神道の神社になり、主祭神の名は大物主神と定められ、象頭山松尾寺金光院は廃されました。観音堂は三穂津姫社に、金光院の金堂は天御中主神ほか二神を祀る旭社となり、松尾寺は金光院の別荘のあった現在地に普門院松尾寺として移転再興されました。
1912-24-琴平-IMG_39961912-25-琴平-IMG_3994

そこからさらに下って行くと、金毘羅大芝居のあった所に建てられた琴平歴史民俗資料館があります。小さい資料館ですが、中には歌舞伎衣装や小道具などが展示してありました。
1912-26-琴平-IMG_39981912-27-琴平-IMG_4000

金倉川の方へ向かうと、屋根付きの鞘橋があります。
1912-28a-琴平-IMG_40071912-28b-琴平-IMG_4003

この橋は渡れませんが、その横に普通の橋があり、対岸へ渡るとそこは、金比羅宮神事場でした。かなり広いところですが、小さな祠があるだけでした。
1912-29-琴平-IMG_40081912-30-琴平-IMG_4010

この後は、宿に戻り温泉にのんびり入って休憩です。



個人的ウォーク | 17:18:00 | コメント(0)
茶源郷・和束へ

12月14日(土)晴


加茂駅→恭仁宮跡→石寺の茶畑→撰原の茶畑→和束茶カフェ→天空カフェ→安積親王陵墓→和束山の家バス停(12Km)=(バス)=加茂駅

1912-00a-和束-軌跡1912-00b-和束-高度

晴れてあまり寒くもない一日、いつもの仲間5人で和束の茶畑を見に行きました。今日の案内人は、地元の私です。9時40分に加茂駅をスタートして、まず恭仁宮跡へ向かいました。恭仁京は、天平12年(740)に聖武天皇により平城京から遷都されて築かれた都で、平城京の大極殿が解体されてここに移築されました。しかし、4年後には難波宮へ遷都され、その翌年天平17年には再び平城に都が戻されました。その後、大極殿は山城国分寺として使われ、国分寺の七重塔の礎石が残っています。
1912-01a-和束-IMG_00221912-01b-和束-IMG_0667

道路を挟んでその向かいに大極殿跡の礎石が並んでいます。
1912-01c-和束-IMG_0023

大極殿跡に隣接して、木津川市立恭仁小学校があります。この小学校は、明治6年創立で、昭和の初めに建てられた木造校舎を現在もそのまま使用している珍しい学校です。この校舎は大極殿跡に建てられていて、国の史跡のため建て直しが出来ず、地元も新築移転ではなく耐震補強での保存を望んでいるため、数年前に大規模な耐震工事を行い、昔懐かしいその姿を残しています。
1912-02-和束-IMG_4181

和束へ向かう道沿いに「大井手用水」が流れています。これは、鎌倉時代に作られた稲作用の用水路で、和束から水を引いてこの辺り一帯での稲作を可能にしたもので、現在も使われています。
1912-03-和束-IMG_4183

その少し先に、内藤湖南(1866-1934)の旧居があります。湖南は京都帝大教授で戦前の代表的な東洋史学者です。
1912-04-和束-IMG_41841912-05-和束-IMG_4185

少し坂道を登っていくと、加茂町の茶畑が道の両側に続きます。
1912-06-和束-IMG_4190

和束町に入ると、山の斜面一面に広がる広大な茶畑が見られます。今は、最後の刈り取りも終わってきれいに整形されて、茶畑が一番美しい時期です。日本遺産に登録されている石寺の茶畑です。
1912-07-和束-IMG_41941912-08-和束-IMG_0266

その少し先にある、同じく日本遺産の撰原の茶畑です。
1912-09-和束-IMG_41951912-10-和束-IMG_4197説明

しばらく道の両側に広がる茶畑を眺めながら歩いていくと、和束茶カフェに着きました。ここでは、様々な種類のお茶を販売していいて、試飲もできます。ここで、鍵を受け取り「天空カフェへ」登っていきます。[天空カフェ」は小高い丘の上に建てられた東屋で、1時間単位で貸し切りで使用することが出来ます。中は割に広く、10人位は入れそうです。使用料は、一人500円で、1500円で打ち切りなので、5人でも10人でも1500円です。
1912-11-和束-IMG_4198

四方を眺めることが出来て、ゆっくりくつろげる空間です。眼下に広がる和束町の街並です。ここで、景色を眺めながら昼食を摂りました。
1912-12-和束-IMG_4199

昼食後に、小高い丘の上にある安積(あさか)親王陵墓を訪れました。安積親王は、聖武天皇の第2皇子で、第1皇子が亡くなったため皇太子の有力候補でしたが、恭仁宮で17歳で死去されました。その死が急であったことから、次期天皇を狙う藤原一族に毒殺されたという説があります。親王は生前、和束を愛し度々訪れていたことから、この地に埋葬されたそうです。陵墓は丘の上に造られていて、廻りは個人の所有地で茶畑になっています。
1912-13-和束-IMG_42041912-14-和束-IMG_42001912-15-和束-IMG_0300

和束川の橋の欄干には茶摘みのレリーフがはめ込まれていました。
1912-16-和束-IMG_4203

このあと、和束山の家のバス停からバスで加茂に帰りました。何時もは往復歩くのですが、今日は帰りを急ぐ人もあってバスに乗りました。今日は天気も良く、朝のうちは寒かったですが、日差しがあるので暖かくなり、歩くには丁度よい気候で、5人でお喋りしながら楽しく歩きました。
和束は今まで何度も訪れているので、写真を余り撮っていません。2016年12月と今年の1月に一人で行った時のブログにもう少し詳しく書いていますので、興味のある方は見て下さい。
http://oldwalker.blog.fc2.com/blog-entry-84.html (天空カフェも詳しく書いています)
http://oldwalker.blog.fc2.com/blog-entry-189.html




個人的ウォーク | 21:57:34 | コメント(0)
晩秋の坂本散策

11月30日(土)曇り後晴


比叡山坂本駅→生源寺→日吉大社東本宮→八王子山→神輿収蔵庫→白山宮→宇佐宮→西本宮→律院→旧竹林院→西教寺→千体仏地蔵→日吉東照宮→慈眼堂→滋賀院門跡→比叡山坂本駅(10Km)

1911-00a-坂本-軌跡mod1911-00b-坂本-高度

晩秋の一日、いつもの仲間5人で坂本の散策に出かけました。今日の案内人は、琵琶湖一帯に大変詳しい地元のNさんです。今朝は大変冷え込んで、7時に家を出る時は-1℃でした。午前中は曇り空で余り気温も上がらず寒い一日でした。8時半過ぎに坂本駅を出発して、日吉大社に向かいました。途中、道路沿いに日本最古の茶園という日吉茶園があります。
1911-01-坂本-IMG_37601911-02-坂本-IMG_3761説明

延暦寺開祖の最澄誕生の地という、生源寺に立ち寄りました。
1911-03-坂本-IMG_37631911-04-坂本-IMG_37641911-05-坂本-IMG_3765

穴太衆積の石垣が続く参道の紅葉は丁度見頃を迎えていました。
1911-06-坂本-IMG_3773

大宮川の河原に降りて、日吉三橋を見に行きました。走井橋(手前)と大宮橋(奥)です。
1911-07-坂本-IMG_3778

東本宮へ続く二宮橋です。いずれも国の重要文化財です。
1911-08-坂本-IMG_37811911-09-坂本-IMG_3843説明

東本宮の楼門です。
1911-10-坂本-IMG_3783

拝殿とそれに続く本殿です。拝殿は重要文化財、本殿は国宝です。
1911-11a-坂本-IMG_37841911-11b-坂本-IMG_37871911-12-坂本-説明

本殿横の石垣を穴太衆が積み直していました。穴太衆は戦国時代から城の石垣づくりを専門とする集団ですが、現在もその技術を受け継いでいるのはこの工事をしている粟田建設のみとなってしまいました。
1911-13-坂本-IMG_3788

東本宮の少し先に八王子山への登山口があります。長い急な階段を登って行きます。
1911-14-坂本-IMG_3791

道は広いのですが、急な坂道をブルドーザーが地ならしをした後で、小石がゴロゴロ転がっていて大変滑りやすく、歩きにくかったです。
1911-15-坂本-IMG_37931911-16-坂本-IMG_3814

30分足らずで標高381mの山頂近くの急斜面にある奥宮・三宮と牛尾宮に着きました。毎年4月に行われる山王祭の前に山王神輿が運び上げられてここに収められ、山王祭で担いで降ろされます。
1911-17-坂本-IMG_37991911-18-坂本-IMG_3804

この2つのお社の間に、日吉大社の始まりの場所という、高さ10mの金大巌(こがねのおおいわ)があります。
1911-19-坂本-IMG_3807

ここからは、琵琶湖が一望でき、少し霞んでいますが琵琶湖大橋や三上山(近江富士)なども見えます。下を見ると、日吉大社の参道と鳥居も見えました。
1911-20-坂本-IMG_37951911-21-坂本-IMG_38011911-22-坂本-IMG_3806

同じ道を下って行き、西本宮の方へ向かうと神輿収蔵庫がありました。ここには、桃山時代から江戸時代にかけて作られた7基の御輿(重要文化財)が展示されています。
1911-23-坂本-IMG_38151911-24-坂本-IMG_38171911-25-坂本-IMG_3820

白山宮、宇佐宮を通って西本宮へと向かう境内のカエデなどがきれいに色づいていました。
1911-26-坂本-IMG_38251911-27-坂本-IMG_3828

西本宮の楼門(重要文化財)です。屋根裏の四隅に木造の猿がいます。日吉大社では、猿は魔除けの象徴として大切にされています。
1911-28-坂本-IMG_38291911-29-坂本-IMG_3830

拝殿(重文)と本殿(国宝)です。
1911-30-坂本-IMG_38311911-31-坂本-IMG_3832説明1911-32-坂本-IMG_38351911-33-坂本-IMG_3834

参道の途中に「神猿舎」があります。
1911-34-坂本-IMG_3837

山王鳥居です。[合掌鳥居」とも呼ばれ、神仏習合の信仰を表しているそうです。
1911-35-坂本-IMG_3841

鳥居のところから、八王子山の奥院が望めます。
1911-36-坂本-IMG_3845

次に、律院で11時から行われる護摩供に参列しました。律院は、元々は比叡山横川の総里坊であった松禅院があった場所で、明治以降、荒廃していたこの地に昭和24年、戦後初の千日回峰行者、叡南祖賢大阿闍梨が再興されたもので、現在は三代目住職の叡南俊照大阿闍梨によって、護摩供が勤められます。大阿闍梨は、満行までに7年を要する苦行「千日回峰行」を達成したものに与えられる称号で、叡南俊照師は1979年に達成(戦後7人目)されました。 山門と庫裏です。
1911-37-坂本-IMG_38511911-38-坂本-IMG_3852

その奥にある護摩堂で護摩供が行われます。私達も、まず、護摩木に願い事を書いて納めました。護摩供は堂内で護摩木を焚いて行われます。開始前の堂内です。叡南俊照大阿闍梨の読経の中、次々と護摩木が火に入れられて大きな炎が堂内を照らします。1時間ほどの読経ののち、大阿闍梨様が参列者の間を回られて、一人ひとりに数珠で肩を軽く叩かれて加持を頂きました。
1911-39-坂本-IMG_3854

その後は、参列者全員に精進料理の振る舞いがあり、美しい庭園を眺めながら美味しくいただきました。
1911-40-坂本-IMG_38551911-41-坂本-IMG_3856

入口の上には、千日回峰行満行の木札が掲げてありました。
1911-42-坂本-IMG_3860

次に、旧竹林院を拝観しました。ここは、元里坊だったところで、八王子山を借景にした美しい庭園は、国指定名勝庭園です。
1911-43-坂本-IMG_3889

まず、建物内から見学しました。玄関を入ってすぐの所に、牛尾宮の山王神輿が展示してありました。
1911-44-坂本-IMG_3869

紅葉が緑に映えてきれいです。
1911-45-坂本-IMG_3867

二階の磨き上げられた机に紅葉が写っていました。
1911-46-坂本-IMG_38721911-47-坂本-IMG_3873

庭に出ると、八王子山の奥院が見えます。
1911-48-坂本-IMG_38761911-49-坂本-IMG_3886

そこから県道を北へ少し歩いて、西教寺を訪れました。参道の紅葉が見頃です。
1911-50-坂本-IMG_38921911-51-坂本-IMG_3894

本堂へは、急で長い階段を登っていきます。本堂は、江戸時代の建物で重要文化財です。
1911-55-坂本-IMG_39051911-56-坂本-IMG_39101911-57-坂本-IMG_3923説明

奥には、阿弥陀如来二十五菩薩像が並んでいました。
1911-58-坂本-IMG_39111911-59-坂本-IMG_3913説明

その横には、明智光秀一族の墓があります。
1911-60-坂本-IMG_39141911-61-坂本-IMG_3915説明

帰りに、県道から少し外れて千体地蔵を見に行きました。
1911-62-坂本-IMG_39371911-63-坂本-IMG_3935説明

日吉大社の前を通り、ケーブル坂本駅を見に行ってから、日吉東照宮へ行きました。この社殿は、日光東照宮に先立って建てられたもので、国の重要文化財です。唐門と本殿です。
1911-64-坂本-IMG_39441911-65-坂本-IMG_39411911-66-坂本-IMG_3943説明

慈眼堂に立寄りました。境内の紅葉が綺麗です。
1911-67-坂本-IMG_39481911-68-坂本-IMG_3947説明1911-69-坂本-IMG_3949

滋賀院門跡の前を通って駅に向かいました。見事な石積みの垣に囲まれています。
1911-70-坂本-IMG_39511911-71-坂本-IMG_3953

今日は、坂本に大変詳しいNさんの案内で、今まで門前を素通りしていたところなど、色々盛り沢山に見て回り、大阿闍梨様の護摩供に参加することも出来て、大変充実した一日でした。ただ、八王子山の登山道は思っていたより厳しくて滑りやすく、トレッキングシューズを履いてくるべきでした。




個人的ウォーク | 11:47:11 | コメント(2)
紅葉を求めて 精華町散策

11月23日(土)晴


祝園駅→精華町役場→稲植神社→畑ノ前公園→精華大通り→けいはんなオープンイノベーションセンター→けいはんな記念公園・水景園→けいはんなプラザ→光台→国会図書館関西館→国際高等研究所→来迎寺→祝園駅(14Km)
1911-00-精華町-軌跡

小春日和の一日、友人のMさんの案内で、高齢者3人組で精華町の散策に出かけました。精華町は京都府南部に位置し、木津川市と共に「けいはんな学研都市」の中核になっている町です。人口3万7千人余りで、単独で市への昇格を目指しているそうです。今日は、学研都市として新しく開発された、広々として公園も多くある地区を廻りました。学研都市には、130を超える様々な研究施設などがあり、まだ増え続けています。
祝園駅を9時20分頃出発し、まず西へ向かいました。
1911-01-精華町-IMG_3733

精華町役場です。新しい立派な建物です。
1911-02-精華町-IMG_3632

ここから最近開通した広い通りを南へ歩いて行き、稲植神社へ立ち寄りました。この神社は、5世紀頃の建立という古社です。
1911-03-精華町-IMG_36401911-04-精華町-IMG_36411911-05-精華町-IMG_3639

畑ノ前公園遺跡の森を通り抜けていきます。この公園は、奈良時代の豪族の館跡を保存するために造られた公園です。紅葉にはまだ少し早いようですが、木々が陽光に映えきれいです。
1911-06-精華町-IMG_36441911-07-精華町-IMG_3646

精華大通りに出ました。この通りのメタセコイア並木の黄葉は見事です。大通りの終点・光台までこの並木が続きます。
1911-08-精華町-IMG_3650

「けいはんなオープンイノベーションセンター」です。ここは、2003年に550億円余りの国費をかけて建設され、“無駄遣いの象徴”と批判されて7年後に閉館した職業体験施設「私のしごと館」の跡地です。広大な敷地に3階建の大きな建物からなる施設で、その後、京都府に無償譲渡され、現在はベンチャー企業などが集まる先端技術開発拠点として生まれ変わっています。
1911-09-精華町-IMG_36541911-10-精華町-IMG_3656

そのすぐ先にある、けいはんな記念公園を散策しました。この公園は、桜の名所でもあり、今の時期は紅葉が美しい所です。ここは、けいはんな学研都市(関西文化学術研究都市)の建設を記念して1995年に開園した、京都府立公園です。東入口から入るとすぐに、回遊式日本庭園[水景園]があります。良く手入れされた美しい庭園です。
1911-11-精華町-IMG_36571911-12-精華町-IMG_3658

永谷池と観月橋です。水景園内の紅葉は丁度見頃でした。
1911-13-精華町-IMG_3661

右端のジャングルジムのような建物は[観月楼]で、休憩所、研修所などがあります。中央には水景棚、水上舞台、左端には里棚田が造られています。
1911-14-精華町-IMG_3667

観月橋の下には、高さ6~7m、重さ20~40(最大70)トンの巨石、約500個からなる延長150mの壮大な巨石群が造られています。これらの石は、岡山県犬島から運んできた御影石です。巨石群の先の紅葉谷は、見頃を迎えていました。
1911-15-精華町-IMG_36681911-16-精華町-IMG_3671

観月橋に続く観月楼の上には、イタリアの陶芸家、フェデリコ・ボナルディ作の「ガリレオの子孫たち」が様々なポーズで並んでいました。
1911-17-精華町-IMG_36751911-18-精華町-IMG_3676

下の紅葉谷へ降りてきました。紅葉が見事です。
1911-19-精華町-IMG_36821911-20-精華町-IMG_36841911-21-精華町-IMG_36911911-22-精華町-IMG_3693

巨石群です。下で見ると大きいです。
1911-23-精華町-IMG_36951911-24-精華町-IMG_3697

永谷池を一周する遊歩道を景色を楽しみながらゆっくり歩いて回った後、西出口から出て、メタセコイア並木の精華大通りを西へ向かいます。
1911-25-精華町-IMG_37141911-26-精華町-IMG_3715

地元では有名な、光台の石臼挽き手打ちそばの店「蕎麦人」で昼食を摂りました。大変美味しい十割そばでした。昼食後は、大通りの南の筋を東へと戻っていきます。国会図書館関西館前を通ります。生憎、今日は祭日で休館日でした。西門と大通りに面した正面入口です。
1911-27-精華町-IMG_37181911-28-精華町-IMG_3720

国会図書館の向かいにあるフィットネスクラブ「Pinos」です。Mさんと私が何時も通っているクラブです。
1911-29-精華町-IMG_3722

国会図書館の隣には、山崎から移ってきたサントリーの大きな研究所があります。
1911-30-精華町-IMG_3724

精華大通りを離れて少し南へ行くと「国際高等研究所」があります。この研究所は、産官学連携の公益財団法人で、「人類の未来と幸福のために、何を研究すべきかを研究する」ことを基本理念に、持続可能社会の実現に向けて、さまざまな研究活動を実施しているそうです。具体的に何を研究しているのかよくわかりませんが、広大な敷地にパラパラと建物が建てられています。
1911-31-精華町-IMG_3726

最後に、古くからある集落に入り、来迎寺に立寄りました。天平勝宝元年(749)行基の開基と伝えられていますが、真偽の程はさだかでないようです。
1911-32-精華町-IMG_37311911-33-精華町-DSC_0037

近松門左衛門の浄瑠璃「心中宵庚申」の主人公、お千代が植田村(現在の精華町植田)の大百姓、嶋田平右衛門の二女であったことから、その菩提寺であるここに、お千代と半兵衛の墓が建立されました。
1911-34-精華町-DSC_00361911-35-精華町-DSC_0035説明

この後は、祝園駅まで戻って帰途につきました。所要時間4時間44分、歩行時間3時間44分、歩行距離14.0Kmでした。
快晴で紅葉が青空に映えて美しく、3人で景色を楽しみながら楽しく歩きました。何時も車で通っている道でも、歩いてみるとまた景色が違って見え、新鮮でした。



個人的ウォーク | 15:47:00 | コメント(0)
天橋立ツーデー番外編 宮津散策

9月27日(金)薄曇


宮津駅→茶六本館→和貴宮神社→カトリック宮津教会→金引の滝→智源寺→島崎公園→旧三上家住宅→茶六本館(8Km)

1909-00-宮津-軌跡

天橋立ツーデーの前日、27日の11時過ぎに宮津に着き、昼食後、荷物を宿に預けて、友人2人と宮津市内の散策に出かけました。福知山からは第三セクターの京都丹後鉄道が運行しています。天橋立の一つ手前の宮津駅です。
1909-01-宮津-IMG_2720

宿泊は、享保年間創業という茶六本館です。木造3階建の趣のある建物で、国の有形文化財として登録されています。シーズンオフのこの時期は、朝食付きで格安のプランが有り、宿泊者の大半はツーデーの参加者でした。
1909-02-宮津-IMG_2721

まず、近くの和貴宮神社に参拝しました。
1909-03-宮津-IMG_27231909-04-宮津-IMG_27261909-05-宮津-IMG_2725

そのすぐ近くのカトリック宮津教会です。聖ヨハネ天主堂は、1896年に建てられた木造平屋建で、日本で二番目に古いカトリック天主堂です。正面と背面です。
1909-06-宮津-IMG_27291909-07-宮津-IMG_2730

内部は老朽化のため一般公開はしていないという張り紙があり、残念ながら内部は見られませんでした。ネットを探して、写真を拝借してきました(https://www.kyotoside.jp/entry/20180220 他にも多数の写真があります)。椅子が置いてあるようですが、内部は畳敷です。
1909-08-宮津-宮津キリスト教会021909-09-宮津-宮津キリスト教会03

教会裏の広場に和服姿のガラシャ像が建っています。明智光秀の三女・玉が細川忠興との結婚後に、本能寺の変までの2年間宮津で暮らしていました。後に洗礼を受けてガラシャ(Gratia)として知られていますが、宮津にいた時にはまだカトリック信仰に目覚めていなかったようです。
1909-10-宮津-IMG_2733

次に、宮津駅から約2Kmほど南にある金引の滝に向かいました。途中に「福興の燈」という大きな石灯籠がありました。金引の滝は、土曜日の12Kmコースに入っていて、既にコースの矢貼がしてありました。
1909-11-宮津-IMG_27351909-12-宮津-IMG_2736

金引の滝は、京都府唯一「日本の滝百選」に選ばれている名瀑です。
1909-13-宮津-IMG_27391909-14-宮津-IMG_2740

階段を登っていくと、まず「白龍の滝」があります。
1909-15-宮津-IMG_2743

金引の滝は大きな岩を二手に別れて流れ落ち、右側は「男滝」、左側は「女滝」と呼ばれています。
1909-16-宮津-IMG_2744
1909-17-宮津-IMG_2752
1909-18-宮津-IMG_2753

滝の横には小さな祠がありました。
1909-19-宮津-IMG_2754

松渓山智源寺に立ち寄りました。寛永2年(1625)建立の曹洞宗のお寺で、修行道場として知られているそうです。入口から、白門、黒門、赤門の3つの門が並んでいます。
1909-20-宮津-IMG_27551909-21-宮津-IMG_2758

本堂です。
1909-22-宮津-IMG_27601909-23a-宮津-IMG_2756説明

市街地を北へ、海岸沿いにある大会会場の島崎公園に行ってみると、既に準備は完了していました。
1909-23b-宮津-IMG_2762

次に、宿の近くにある旧三上家住宅を見学してきました。主屋は1783年の建築で、外部に面する柱を塗り込める大壁造りとし、土蔵同様の耐火構造になっています。平成15年に国の重要文化財に指定されています。
1909-24-宮津-IMG_27661909-25-宮津-IMG_2767
1909-26-宮津-IMG_2768

台所、庭園、茶室です。庭園は京都府指定名勝です。
1909-27-宮津-IMG_28301909-28-宮津-IMG_28281909-29-宮津-IMG_28261909-30-宮津-IMG_2832説明

宮津市内を駆け足で巡りましたが、見どころも色々あり、落ち着いた良い街という印象でした。



個人的ウォーク | 21:47:00 | コメント(0)
郡山城址と佐保川の桜

4月13日(土)晴


JR郡山駅→郡山城址→羅城門跡→佐保川右岸→奈良県立図書情報館→佐保川左岸→大仏鉄道記念公園→JR奈良駅(13Km)

1904-00-佐保川-軌跡 
朝から雲一つない快晴、例年なら既に散ってしまっている桜が、まだ殆ど残っているようなので、奈良の花見に出かけました。私にとっては何度も歩いているおなじみのコースですが、特に佐保川の桜並木は郡山から奈良市内まで1000本以上の桜が5Km以上に渡って続く、私の知る限り最も素晴らしいものです。
郡山城址の堀の周りの桜は、まだほぼ満開に近い状態でした。毎年、桜の時期にお城まつりが開催され、屋台が色々出て、大勢の人で賑わいます。今年は、7日までで既に終わっていて、人出もまばらでした。お城のガイドの方は、お城まつりが終わっても、これだけの桜が残っているのは初めてだと言っておられました。
1904-01-佐保川-IMG_1154 1904-02-佐保川-IMG_1156 1904-03-佐保川-IMG_1158 
城内の公園には、「歴代皇陵遥拝所」の碑が立っています。
1904-04-佐保川-IMG_1159 
天守台近くには、郡山藩初代城主・柳沢吉保を祀る柳澤神社があります。拝殿と側面から見た本殿です。
1904-05-佐保川-IMG_1166 1904-06-佐保川-IMG_1186 1904-07-佐保川-IMG_1167説明 
そのすぐ奥に、天守台の石垣があります。石垣が破損してきたため、長期間修復工事が行われていましたが、1年ほど前に完成し上に登れるようになりました。
1904-08-佐保川-IMG_1188 1904-09-佐保川-IMG_1187説明 
天守台からは、四方が見渡せます。東方には、郡山から奈良盆地、若草山などが見えます。
1904-10-佐保川-IMG_1174 
北西方向には、遠く金剛山、葛城山、二上山が見えます。2枚目の写真は、ズームの倍率を上げて撮ったものです。
1904-11-佐保川-IMG_1178 1904-12-佐保川-IMG_1180 
天守台の石垣は、石仏や石塔、羅城門礎石等の多くの転用石材が用いられていて、逆さにはめ込まれた地蔵まであります。
1904-13-佐保川-IMG_1182説明 1904-14-佐保川-IMG_1184 
追手門近くには、明治建築の美しい建物があります。これは、奈良公園に建てられた旧県立図書館の本館部分で、ここでは城址会館として使われています。
1904-15-佐保川-IMG_1190 1904-16-佐保川-IMG_1191 
追手門です。この辺の桜は殆ど散っていました。
1904-17-佐保川-IMG_1193 
追手門前の追手向櫓です。
1904-18-佐保川-IMG_1194 
城跡の外へ出て、堀に沿って少し北へ行くと、追手東角櫓の近くに有名な枝垂れ桜の大木がありますが、既に花は全部散ってしまっていました。2枚目の写真は2016年に同じ場所で撮ったものです。
1904-19a-佐保川-IMG_1195 1904-19b-佐保川-IMG_0008 
西へ向かってしばらく行くと、国道24号線の高架下に、平城京の朱雀大路と九条大路の交差点跡があり、羅城門跡の案内板が立てられています。
1904-20-佐保川-IMG_1198 1904-21-佐保川-IMG_1197説明 
佐保川右岸を少し歩くと、桜並木が始まります。ここはほとんど満開でした。
1904-22-佐保川-IMG_1200 
河原の菜の花も満開です。
1904-23-佐保川-IMG_1203 1904-24-佐保川-IMG_1207 
満開の桜並木がずっと続きます。
1904-25-佐保川-IMG_1213 
県立図書情報館で昼食を摂り、しばし休憩したあと、左岸に渡りました。左岸は遊歩道になっていて桜並木の下を歩けます。
1904-26-佐保川-IMG_1215 1904-27-佐保川-IMG_1216 
奈良市内に入ると、少し花が少なくなってきました。
1904-28-佐保川-IMG_1218 
所々に植えられているカエデやすっかり葉桜になった新緑もまた桜に映えて美しいです。
1904-29-佐保川-IMG_1226 1904-30-佐保川-IMG_1227 1904-31-佐保川-IMG_1230  
大仏鉄道記念公園近くには、幕末の奈良奉行・川路聖謨が植えたという、「川路桜」の古木があります。
1904-32-佐保川-IMG_1229 
大仏鉄道記念公園の枝垂れ桜は、まだなんとか花が残っていました。ここは、大仏鉄道の終点「大佛駅」のあった所で、枝垂れ桜の名所としても知られています。
1904-33-佐保川-IMG_1232 
このあとは、JR奈良駅まで歩いて帰宅しました。
3月末の名古屋城から始まって、大阪、京都で満開の桜を楽しんだあと、おまけとして名残の奈良の桜も満喫でき、桜三昧の春でした。




個人的ウォーク | 17:11:29 | コメント(2)
京都散策 満開の桜を愛でながら

4月9日(火)晴


京阪・祇園四条→祇園白川→巽橋→白川分水界→平安神宮→疎水→鴨川東岸→荒神橋→京都御苑→京都迎賓館→近衛邸跡→出町桝形通→出町橋→賀茂川東岸→北大路橋→京都府立植物園→地下鉄北山駅(11Km)

1904-00-京都花見-軌跡 

快晴の一日、友人と二人で京都へ満開の桜を求めて歩きに行きました。余り外国人観光客の訪れないコースで、平日とあって何処ともそれほどの混雑はなく、のんびり歩いて桜を満喫しました。
まず、京阪祇園四条駅から白川沿いに歩いて平安神宮へと向かいます。白川は、比叡山と如意ヶ嶽(大文字山)との間から流れ出し、動物園近くで疎水と合流したあと、近代美術館のところで疎水と分かれて「祇園白川」として風情のある祇園の町家の中を流れて行き、鴨川と合流します。祇園白川は、また、桜の名所としても知られています。
川端通りから祇園白川に入り、桜並木の下を歩いていきます。
1904-01-京都花見-IMG_0971 1904-02-京都花見-IMG_0976 
少し行くと、吉井勇の「かにかくに」の歌碑があります。
1904-03-京都花見-IMG_0977 1904-04-京都花見-IMG_0978説明 
巽橋前の交差路に出ました。橋の前では、モデルさんの撮影をしていました。
1904-05-京都花見-IMG_0988 1904-06-京都花見-IMG_0980  
その右手には、辰巳大明神があります。これは、御所の辰巳の方角の守護神として祀られたもので、今では、祇園の芸妓や舞妓が芸事の上達を願う神として、また、商売繁盛の神として信仰されています。
1904-07-京都花見-IMG_0982 
辰巳大明神の右手の路地には、茶屋などの古い町家が立ち並んでいます。
1904-08-京都花見-IMG_0983 
巽橋から見た白川の上流側と下流側です。
1904-09-京都花見-IMG_0986 1904-10-京都花見-IMG_0987 
その少し先には、明智光秀の首を埋めたという「光秀の塚」があります。
1904-11-京都花見-IMG_0995 1904-12-京都花見-IMG_0996説明 
岡崎に近づいて来ると、明治時代に造られた「もっこ橋」という細い橋があります。
1904-13-京都花見-IMG_1003 1904-14-京都花見-IMG_1006 1904-15-京都花見-IMG_1002説明

そのすぐ先に疎水との分水界があり、白川と疎水を讃える詩碑があります。
1904-16-京都花見-IMG_1005 
平安神宮の鳥居が見えてきました。
1904-17-京都花見-IMG_1007 
慶流橋から見た疎水上流側です。美術館裏の桜が見事です。
1904-18-京都花見-IMG_1009 
平安神宮の應天門です。
1904-19-京都花見-IMG_1012 1904-20-京都花見-IMG_1014説明

平安神宮は、神苑の桜が目的です。左端が神苑の入口ですが、まず、正面の拝殿で参拝しました。
1904-21-京都花見-IMG_1015 
桜の時期に神苑を訪れるのは初めてです。案内図がありました。神苑は、総面積約一万坪の広大な池泉回遊式庭園で、東・中・西・南の四つの庭からなっており、国の名勝に指定されています。
1904-22-京都花見-IMG_1022 
まず、南神苑に入ると、満開の八重紅枝垂桜の林が一面に広がっていました。
1904-23-京都花見-IMG_1021 1904-24-京都花見-IMG_1020 1904-25-京都花見-IMG_1024  
その少し先に、日本最古の電車が展示してありました。昭和36年まで北野線の「チンチン電車」として走っていて、私も乗ったことがあります。
1904-26-京都花見-IMG_1029 1904-27-京都花見-IMG_1028説明 
中神苑の蒼龍池(明治28年作庭)には、一羽の白鷺が休んでいました。
1904-28-京都花見-IMG_1040 
東神苑の泰平閣(橋殿:京都御所から移築)が栖鳳池の向こうに見えます。右端の尚美館は貴賓館です。
1904-29-京都花見-IMG_1043 1904-30-京都花見-IMG_1044 1904-31-京都花見-IMG_1051 1904-32-京都花見-IMG_1058 
神苑を出て、疏水に沿って西へ鴨川に向かいます。最近運行を始めた疎水の観光船が、丁度目の前を通って行きました。
1904-33-京都花見-IMG_1059 
疎水沿いの桜も満開です。
1904-34-京都花見-IMG_1062 1904-35-京都花見-IMG_1069 1904-36-京都花見-IMG_1073 
鴨川近くは大島桜の並木道です。
1904-37-京都花見-IMG_1078 
鴨川に出て、東岸河川敷を北へ歩いていきます。鴨川沿いも桜並木が続きます。
1904-38-京都花見-IMG_1080 1904-39-京都花見-IMG_1081 
荒神橋を渡って、京都御苑に入ります。北西端の近衛邸跡の枝垂れ桜を見に行くつもりで京都迎賓館の前を通ると、事前予約など無くても見学できるというので、中に入ることにしました。正面入口です。
1904-40a-京都花見-IMG_1126 
この前から地下に降りて、セキュリティチェックを受けます。空港並みの厳重なチェックの後、荷物をロッカーに入れ、参観料1,500円を払い、1階に上がって正面玄関から中へ入ります。玄関を入ったところの廊下です。
1904-40b-京都花見-IMG_1086 
中庭の池です。
1904-41-京都花見-IMG_1091 
大臣会合などの会議や晩餐会の待合などに使われる、かなり広い「夕映の間」です。東側の壁画は、比叡山を月が照らす様を描いている綴織りの織物です。反対側は、愛宕山に沈む夕陽を描いています。
1904-42-京都花見-IMG_1093 
部屋の中央に、天皇、皇后両陛下の正装用装束の生地が展示してありました。左端は、天皇の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)、中央と右端は皇后の十二単唐衣のもので、いずれも人間国宝の喜多川俵二作です。
1904-43-京都花見-IMG_1096 
次の部屋は、迎賓館で最も大きな「藤の間」で、洋食の晩餐会や歓迎式典などに使用されるものです。正面の大きな壁画は、日本画家の鹿見喜陌の下絵を元にした綴織りです。晩餐会用のテーブルセットが展示してありました。
1904-44-京都花見-IMG_1099 1904-45-京都花見-IMG_1103 
その次の「桐の間」は、「和の晩餐室」で24名までの会食が出来ます。
1904-46-京都花見-IMG_1110 
桐の間から日本庭園が見えます。
1904-47-京都花見-IMG_1111 
中央の大きな池です。池には、賓客を舟遊びでもてなすための和舟があります。
1904-48-京都花見-IMG_1119 1904-49-京都花見-IMG_1121 
2005年に開館したこの迎賓館は、日本の伝統技能の粋を集めて造られたもので、建物だけでなく全ての調度品も素晴らしいものでした。
迎賓館を出て、近衛邸跡へ向かいました。枝垂れ桜で有名なところですが、殆どの木はもう花が散ってしまっていましたが、品種が違うのか何本かは見事な花をつけていました。
1904-50-京都花見-IMG_1127 1904-51-京都花見-IMG_1128 
出町へ向かい、食事をするところを探しながら、枡形通りを奥まで行くと、京料理の店「ろろろ」を見つけて昼食を摂りました。人気の店だそうで、ちょうど二人分の席が空いていました。ランチは手頃な値段で美味しかったです。
1904-52a-京都花見-ろろろ 

出町橋を渡って、再び賀茂川東岸を北へ歩いていきます。ずっと桜並木が続きます。
1904-52-京都花見-IMG_1131 1904-53-京都花見-IMG_1134 1904-55-京都花見-IMG_1142 
北大路橋を越えると、紅枝垂れ桜の並木に変わります。
1904-56-京都花見-IMG_1146 
府立植物園の入口のところから上の道へ出て、正門から植物園に入ります。70歳以上の高齢者は無料です。入口の花壇とその奥に桜園が見えます。
1904-57-京都花見-IMG_1148 
桜が赤いチューリップに映えます。
1904-58-京都花見-DSC_0028 
比叡山がきれいに見えました。
1904-59-京都花見-IMG_1150 
桜は満開です。
1904-60-京都花見-IMG_1151 1904-61-京都花見-DSC_0029 
北山門近くのチューリップとムスカリの花壇です。
1904-62-京都花見-IMG_1152 1904-63-京都花見-DSC_0031 
北山門から出て、地下鉄で帰宅しました。
1904-64-京都花見-DSC_0032 
今日は、素晴らしい天気で、満開の桜を堪能した上に、素晴らしい迎賓館を見学でき、満足の一日でした。私は、京都で生まれ育ち、30年近く住んでいましたが、花見に出かけたのは嵐山くらいで他は余り記憶にありません。これだけの桜をまとめて見るのは初めてです。このコースを考えた友人のMさんに感謝です。




個人的ウォーク | 06:59:15 | コメント(0)
月ヶ瀬梅渓散策

3月9日(土)晴


JR月ヶ瀬口駅→(バス)→月ヶ瀬梅渓・尾山→真福寺→みおろし茶屋→尾山天神神社→ロマントピア月ヶ瀬→遊歩道「もみじの小路」→八幡橋→月ヶ瀬橋→尾山→(バス)→月ヶ瀬駅(10Km)

1903-00a-月ヶ瀬-軌跡 1903-00b-月ヶ瀬-高度2

月ヶ瀬梅渓は、名張川下流域(五月川)のV字渓谷沿いに広がる梅林で、1922年に日本政府が最初に指定した名勝の一つです。後醍醐天皇の女官が、真福寺の境内に梅の木を植え烏梅(うばい、染色の原料)の製法を教えたのが梅林の始まりとされる、古くから知られる梅林で、標高2~300mの高原にあることから、梅の開花も遅く、3月中旬から下旬に満開になるようです。ただ、交通の便は非常に悪く、奈良方面からは、この時期のみの臨時バス以外には、車で行くしかなさそうです。
今日は天気も良いので、列車とバスで行ってみることにしました。月ヶ瀬口駅からは、三重交通の臨時バスが出ていて、梅渓の上の方の尾山に着き、そこから梅林と渓谷を眺めながら下へ降りていくことになります。

バスを降りて少し下った所に「月ヶ瀬梅林発祥の地」という真福寺があります。このお寺は、1117年の創建と言われており、江戸時代中期に再建されて現在に至っています。境内には、しだれ梅初め多数の梅が植えられていましたが、まだ少し早かったようで満開にはなっていませんでした。
1903-01-月ヶ瀬-IMG_0620 1903-02-月ヶ瀬-IMG_0621 1903-03-月ヶ瀬-IMG_0622 
そこからさらに少し下った所に、みおろし茶屋があります。その展望台には、しだれ梅が植えられており、下を見下ろすと名張川の渓谷が一望できます。
1903-04-月ヶ瀬-IMG_0628 1903-05-月ヶ瀬-IMG_0624 1903-06-月ヶ瀬-IMG_0627 
更に少し行った所に、尾山天神神社という小さな祠があります。この地で没した後醍醐天皇の女官姫若を祀る神社で、元は真福寺境内に創建された由緒ある神社のようです。
1903-07-月ヶ瀬-IMG_0630 1903-08-月ヶ瀬-IMG_0629 
神社裏の展望台からは、名張川とそれに架かる月ヶ瀬橋が一望できました。
1903-09-月ヶ瀬-IMG_0632 
この先から、川まで急坂を降りる道があるのですが、災害復旧工事のため通行止めになっていて、茶店で道を訪ねたら、一旦上の県道まで戻り、県道を降りて行くしか無いと言うので、県道沿いにあるロマントピアを目指して歩いていきました。途中にある梅林です。
1903-10-月ヶ瀬-IMG_0635 1903-11-月ヶ瀬-IMG_0636 
茶畑もありました。このあたりは、大和茶の産地で所々の斜面に茶畑がありました。
1903-12-月ヶ瀬-IMG_0639 
ロマントピアで昼食を摂り、県道を歩いていくと、古そうな愛宕灯籠が立っていました。
1903-13-月ヶ瀬-IMG_0643 
途中で遊歩道「もみじの小路」に入り、西へ向かいます。道路沿いはカエデばかりで梅は全くありません。ここは、秋が良さそうです。
1903-14-月ヶ瀬-IMG_0644 1903-15-月ヶ瀬-IMG_0645 
八幡橋が見えてきました。
1903-16-月ヶ瀬-IMG_0646 
広い道路に出る所にある梅は満開でした。川沿いはだいたい満開のようです。
1903-17-月ヶ瀬-IMG_0648 
ダム湖(月ヶ瀬湖)に沿った斜面に茶畑が広がっていました。
1903-18-月ヶ瀬-IMG_0651 
美しい吊橋・八幡橋を通って対岸に渡ります。
1903-19-月ヶ瀬-IMG_0654 
対岸から見た八幡橋と満開の梅林です。
1903-20-月ヶ瀬-IMG_0660 
所々に咲いている梅を眺めながら、川沿いに東へ歩いていきます。歩道がなく、車が多くて歩きにくい道でした。月ヶ瀬橋を渡ります。
1903-21-月ヶ瀬-IMG_0664 
橋から見た月ヶ瀬湖です。
1903-22-月ヶ瀬-IMG_0665 
川沿いにさらに東へ歩いていきます。対岸の梅が満開です。
1903-23-月ヶ瀬-IMG_0668 
この後は、車道を尾山の臨時バス停まで登って行き、帰途に着きました。
所要時間3時間32分、歩行時間2時間35分、歩行距離10.3Kmでした。
川沿いの梅は満開でしたが、山の上は6~7部咲きで、もう少し後のほうが良かったと思いますが、絶好の晴天で青空に梅と渓谷が映えてきれいでした。月ヶ瀬梅渓へは、10年ほど前に家内と車で行って以来ですが、なかなか良い所です。晴天の土曜日とあって、大勢の人で賑わっていましたが、殆どが車かツアーバスで来ているようでした。




個人的ウォーク | 11:26:00 | コメント(2)
茶源郷 和束散策

1月13日(日)晴


加茂駅→恭仁大橋→瓶原(みかのはら)→加茂町奥畑→石寺の茶畑→撰原の茶畑→活動ケ丘公園→和束茶カフェ→中和束→実相寺→鎌塚の茶畑→正法寺→安積親王陵墓→加茂町奥畑→恭仁大橋→加茂駅(20Km)

1901-00a-和束-軌跡 1901-00b-和束-高度

木津川市加茂町北部から和束町、その東に位置する南山城村は、お茶の大産地で、宇治茶の大部分を生産しています。特に、和束町は京都府内で栽培されるお茶の約4割を生産しています。山の斜面一帯に広がる茶畑の景観は素晴らしく、平成20年に京都府景観資産第1号に登録され、また、平成27年には文化庁により日本遺産に選定されています。さらに、京都府では[宇治茶の文化的景観」として世界文化遺産への登録を目指して活動を続けており、その中に和束の茶畑も含まれています。
今日は天気も良く、絶好のウォーキング日和なので、久しぶりに和束へ美しい茶畑を見に行くことにしました。茶畑は、秋の刈り取りが終わって、新芽もまだ出ていなくて、形の整った冬が一番美しく、春になり新芽が出てくる頃には、茶畑全体に日よけがかけられ、真っ黒けになります。
加茂駅前から、北へ向かい木津川にかかる恭仁大橋を渡り、更に北へと行くと、加茂の茶畑が見えてきます。
1901-01-和束-IMG_0253 
この道の突き当りを左へ行くと、海住山寺入口、さらに、奈良時代聖武天皇の時に一時都が遷された恭仁宮跡へと続きます。ここを右へ、山の方へと歩いていきます。その道沿いに、鎌倉時代に造られた大井手用水という、和束川から約7Kmも続く農業用水路があります。これは一帯の稲作に今も使われています。
1901-02-和束-IMG_0254 1901-03-和束-IMG_0255説明

加茂から和束へと続くこの道は、その昔、恭仁京と紫香楽宮を結んでいた古官道「恭仁京東北道」です。道の両側の斜面に茶畑が続きます。
1901-04-和束-IMG_0259 
機械で刈り取るので、きれいに整形されています。
1901-05-和束-IMG_0260 
かなり古そうな愛宕灯篭が路傍に立っていました。下部に[愛宕山」と掘られているのがかろうじて読み取られます。「愛宕山」の表記から江戸時代以前のものではないかと思われます。
1901-06-和束-IMG_0262 
和束で最も美しいと言われる、石寺の茶畑です。撰原の茶畑と共に、京都府景観資産に登録されています。
1901-07-和束-IMG_0266 1901-08-和束-IMG_0268 1901-09-和束-IMG_0269 
そこから少し登ったところにある、撰原の茶畑です。1901-10-和束-IMG_0306 1901-11-和束-IMG_0277 1901-12-和束-IMG_0278 
和束散策の中心に位置する活動ケ丘公園に着きました。入り口に立っている石碑の下に、大伴家持の歌碑があります。
「吾が大君 天知らさむと 思わねば おほにそ見ける 和豆香(わづか)杣山(そまやま)」(万葉集) 巻3-0476 挽歌
774年(天平16年)に、聖武天皇の皇子であった安積(あさか)親王が17歳で恭仁京にて亡くなりましたが、藤原仲麻呂による毒殺と言われています。その死を悼んで詠まれた挽歌です。安積親王は、和束の地をを愛し度々訪れていたことから、このすぐ近くに陵墓があります。
1901-13-和束-IMG_0281 1901-14-和束-IMG_0280 
この公園のすぐ近くに和束茶カフェがありますが、丁度改装工事中で、公園内の「てらす和豆香」内に臨時店舗がありました。ここで、お茶を買ったりしてしばし休憩です。
1901-15-和束-IMG_0282 
和束川の方へ行くと、目の前に安積親王陵墓が見えます。上からの見晴らしが良いので、あとで登ることにします。
1901-16-和束-IMG_0283 
丁度昼時なので、和束川沿いに最近できた、茶畑での収穫から販売までを手がけているという「d:matcha Kyoto」で「煎茶と大葉のジェノベーゼセット」を食べました。パスタの上に煎茶の葉が乗っていて美味しかったです。目の前の釜塚の茶畑を眺めながら食事ができます。
その後、南へ向かい、実相寺を訪れました。門の脇に立つ榧(カヤ)の大木は、樹齢500年と言われているそうです。
1901-17-和束-IMG_0289 1901-18-和束-IMG_0287 1901-19-和束-IMG_0288 
京都府景観資産登録地域の釜塚の茶畑です。
1901-20-和束-IMG_0291 1901-21-和束-IMG_0295 
府道62号線に出たところにある、紅葉の名所で知られる正法寺にも立ち寄りました。このお寺は、天平16年(744年)安積親王の菩提を弔うため、行基により創建されたと伝えられている古刹です。緩やかな石段を登って行きます。
1901-22-和束-IMG_0292 
書院と本堂前の勅使門です。書院の隣の本堂は、改修工事中で足場などで囲われていました。
 1901-23-和束-IMG_0293 1901-24-和束-IMG_0294 
和束川を渡ります。
1901-25-和束-IMG_0297 
安積親王陵墓に登りました。茶畑の中にちょっと歩きにくい石畳の階段が続いています。
1901-26-和束-IMG_0299 
頂上部分にある陵墓です。
1901-27-和束-IMG_0300 
陵墓の柵の外を一周できます。ここからは、和束町が一望できます。
1901-28-和束-IMG_0301 1901-29-和束-IMG_0302 
このあと、来た時とほぼ同じ道を通って帰途につきました。茶畑の間に、製茶工場がいくつか建っています。最近は、和束町内で製茶し、「和束茶」のブランドで売り出しています。
1901-30-和束-IMG_0303 
しばらく道の両側に茶畑を眺めながら歩きます。帰りはだいたい下りなので楽です。
1901-31-和束-IMG_0304 
石寺の茶畑の手前から、行きに通った道の一つ山側を通りました。この方が近いのと、上から茶畑全体を見渡せます。石寺の茶畑です。
1901-32-和束-IMG_0308 1901-33-和束-IMG_0309 
加茂へ戻ってきて、恭仁大橋を渡ります。木津川の上流側です。ここから上流は、コンクリートの護岸工事などがして無くて、自然が残る美しい景色です。
1901-34-和束-IMG_0311 
所要時間6時間9分、歩行時間4時間35分、歩行距離20.2Kmでした。
久しぶりに和束へ行きましたが、以前に比べ茶源郷の宣伝がだいぶ行き渡ってきたのか、寒い時期にも関わらず、そう多くはないですが、観光客も見られ、新しい飲食店やお茶を使ったスイーツの店などもだいぶ出来ていました。でも、世界遺産に登録されて観光客が押し寄せるようなことになると、道も狭いし、駐車場もあまりない所なので、どうなるか心配です。それに、茶畑に入り込んで写真を撮ったりする人達も出てきそうで、あまり開発が進むのもどうかと思います。この美しい景観をいつまでも守っていってほしいと思います。



個人的ウォーク | 16:55:00 | コメント(2)
次のページ