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Author:Old Walker
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大仏鉄道遺構と当尾の石仏めぐり

5月6日(日)晴


木津駅→大仏鉄道公園→赤橋→鹿背山不動尊→梶ヶ谷隧道→鹿背山橋台→観音寺橋台→高田寺→加茂青少年山の家→大門仏谷→藪の中三尊→浄瑠璃寺→わらい仏→みろくの辻→岩船寺→白山神社→一願不動→千日墓地→南加茂台→加茂駅(18Km)

GPSの軌跡と高度です。軌跡の最後・加茂駅付近が途切れています。
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今日も、いつもの仲間5人で、木津駅から大仏鉄道の遺構を見て歩いた後、新緑の美しい当尾の里を訪ねて歩きました。この辺りは私の地元で、良く歩いているところなので、今日の案内人は私です。
大仏鉄道は、明治31年に開業した、奈良と加茂を結ぶ鉄道で、伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客で賑わったそうですが、急坂の黒髪山トンネルで止まってしまったりしたため、関西鉄道の木津駅経由の平坦路線の開業とともに、わずか9年で廃止になりました。営業期間が短く、当時の資料も殆ど残っていないため、「幻の大仏鉄道」と呼ばれるようになりました。現在は木津~加茂間に石積みの隧道や橋台が残されているだけです。
最近、木津川市を中心に、わずかに残る遺構の保存や案内板の整備などが進み、美しい田園風景を楽しみながら遺構を訪ね歩く人も増えてきています。
私達は、8時30分に木津駅を出発し、新しくできたURの城山台団地の坂道を東に向かって登っていきました。
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団地の東北部一帯は、高槻から移転してきた京都大学農場が占めています。
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そのすぐ東、団地の東端にある良く整備された城山台公園は、大仏鉄道の遺構の近くなので「大仏鉄道公園」とも呼ばれています。
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道路を挟んでその東側に、大仏鉄道の軌道跡とそれを支える赤橋があります。
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そのすぐ北には、レンガ造りの梶ヶ谷隧道があります。この隧道は、現在も農道の一部として使われています。これら2つの遺構は、URの当初の計画では道路の建設で破壊されることになっていましたが、木津川市を始めとする保存運動のおかげで、道路は遺構を避けて迂回するように変更されました。
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そのすぐ北にある、鹿背山不動院を訪ねました。左手奥の不動院には、建武元年 (1334)の銘のある花崗岩に彫られた不動明王像が収められています(右手前は大師堂です)。
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グリーンハウス前の分岐点には、新しい道標がありました。右手の道を行きます。
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石積みの美しい鹿背山橋台です。100年以上も野ざらしになっていたとは思えない、堅固な造りで当時の姿のまま保存されています。
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そのすぐ先にある、観音寺橋台(手前)です。奥は現在使われている大和路線の線路です。
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さらに東へと向かい住宅地に入ると、高田寺(こうでんじ)があります。本堂の左手には、オオヤマレンゲが咲いていました。蓮華に似た芳香のある白い半球状の花で、奈良県の深山に自生するオオヤマレンゲは、国の天然記念物に指定されています。
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南加茂台団地の縁を回って浄瑠璃寺方面へと向かいます。のどかな田園風景を眺めたり、林の中を歩いたりする道が続きます。
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加茂青少年山の家の前の道を登っていくと、左手の谷の向こうに大きな岩に彫られた、阿弥陀磨崖仏があります。
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石仏を集めた大門石仏群です。
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首切地蔵です。
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バス道に出た所にある、藪の中三尊です。これらの石仏の古いものは、鎌倉時代のもので、修業を終えた僧が感謝の気持ちを込めて石工に彫らせたものだそうで、願主と石工の銘の彫られたものもあるようです。
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アセビなどの新緑の美しい浄瑠璃寺の参道です。
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浄瑠璃寺は雪の積もった時や紅葉もきれいですが、新緑もまた美しく、私の大好きなお寺で、今までに四季を問わず何十回と訪れています。国宝の三重塔です。
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最近浚渫されてきれいになった宝地と、九体仏を収めてある国宝の本堂です。
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岩船寺に向かう道の入口にある、あたご燈籠です。
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からすの壺二尊です。岩の左側にもう一体が彫られています。
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岩船寺に向かう山道を登っていきます。
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穏やかな笑みを浮かべた三体の阿弥陀仏が彫られた「わらい仏」です。
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笠置方面へ向かう道路に出るミロクの辻の大きな岩に、弥勒磨崖仏が彫られていますが、だいぶ消えていて良くわかりません。
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岩船寺の裏へ回る山道にある、三体地蔵です。
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岩船寺山門です。浄瑠璃寺は、本堂以外は拝観無料ですが、ここは山門を入るのに拝観料400円が要ります。紫陽花の季節なら拝観しても良いかなと思いますが、今日はここまでです。
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岩船寺左手の高台にある、白山神社です。この本殿は、国の重要文化財に指定されています。この境内で昼食休憩しました。
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南加茂台に向かう山道を歩いていくと、鎌倉時代から続き、今も使われている千日墓地の前を通ります。墓地の入口付近にある鳥居と十三重の塔は、鎌倉時代のもので、塔は国の重要文化財です。
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このあとは、山里の風景を眺めながら団地の縁を回って、加茂駅に向かいました。歩行時間4時間15分、歩行距離18.4Kmでした。
雨は夕方からの予報通り、昼過ぎまで晴れたり曇ったりで、気温もさほど上がらず、新緑の中を楽しく歩きました。近場で、何度も歩いた道ですが、今日のコースを通して歩いたことはなく、正確に距離を測ったこともなかったのですが、実際は思っていたより距離がありました。




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個人的ウォーク | 10:25:00 | コメント(0)
甲府・昇仙峡
4月19日(木)晴

昇仙峡口バス停→長潭橋→羅漢寺→夢の松島→石門→仙娥滝→仙娥滝入口→ロープウェイ仙娥滝駅→パノラマ台駅→展望台→ロープウェイ→クリスタルミュージアム→(登りと同じ道)→昇仙峡口バス停(12Km)

GPSによる軌跡と高度です。高度図の中央、急坂部分はロープウェイです。
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松本の後、甲府にしばらく滞在しています。晴天の一日、郊外の昇仙峡に行ってきました。昇仙峡は、甲府駅からバスで30分位のところにあり、国の特別名勝にも指定されていて、昇仙峡観光協会によれば、「日本一の渓谷美」だそうです。9時45分に昇仙峡口に着き、渓谷沿いの道をロープウェイ乗り場まで、約6Kmを歩いて行きました。
昇仙峡入口に架かる、1925年竣工の美しいアーチ橋・長潭橋(ながとろばし)を渡ります。橋の全景と橋から見た上流側の景色です。橋の右手に新しい橋を建築中でした。
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道沿いに立っていた案内地図です。
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新緑の美しい渓流には、様々な形をした巨岩がゴロゴロ転がっていました。
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大仏岩です。
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ミツバツツジが満開です。
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渓流に架かる吊り橋です。
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橋を渡った所に、五百羅漢で知られる羅漢寺があります。
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本堂前の堂には、日本最古の木造羅漢像といわれる五百羅漢像が安置されています。
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しばらく登っていくと、昇仙峡の主峰・覚円峰を望む「夢の松島」に着きました。覚円峰(写真中央左)は、澤庵禅師の弟子・覚円が、畳が数畳敷ける広さの頂上で修行したことから名付けられたそうで、花崗岩が風化水食してできたもので、急峻で高さ約180mあるそうです。
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巨大な花崗岩に囲まれた不安定な感じの石門の下をくぐっていきます。
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切り立った崖と美しい渓流が続きます。
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昇仙峡の最奥部にある、落差30mの仙娥滝に着きました。ここは、駐車場からも近く、観光客で賑わっていました。
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土産物店の立ち並ぶ通りを抜けて、ロープウェイに乗りに行きました。
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山頂のパノラマ台駅からは、荒川ダムと遠くに甲斐駒ケ岳が見えました。
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山頂駅から少し登った所にある展望台からは、雲の上に浮かぶ富士山や、遠くに南アルプスの山並みがきれいに見えました。
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ロープウェイで下へ降りてすぐのところにある、クリスタル・ミュージアムに寄りました。山梨県は水晶の産地としても知られていて、様々な水晶などが展示してありました。入口に置いてあった、水晶の大きな原石です。
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渓谷への入り口にある公園の山桜が満開でした。
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この後は、登りと同じ道を通って昇仙峡口バス停まで、6キロの道を戻りました。
歩行距離(ロープウエイを除く)11.8Km、歩行時間3時間12分でした。天気も良く、渓谷美と山頂からの素晴らしい景色を満喫できました。仙娥滝近くまでバスが入っていますが、やはりこの渓谷は歩かないとその美しさを十分楽しめないようです。




個人的ウォーク | 11:12:19 | コメント(0)
山の辺の道から三輪山登拝
7月1日(土)曇時々晴一時雨

天理駅→天理本通→天理教本部→石上神宮→山の辺の道→内山永久寺跡→夜都伎神社→竹野内環濠集落→念仏寺→長岳寺→檜原神社→狭井神社→三輪山→狭井神社→大神神社→三輪駅(24Km)

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1707-00b-山辺の道-高度

山の辺の道は何度も歩いていますが、いつもただ歩くだけなので、今日は一人であちこち寄り道しながらゆっくり歩いて、前から一度行ってみたいと思っていた三輪山へも登ってきました。予報では一日中曇で9時ころ雨でしたが、朝から青空が出ていて、あまり暑くもなく歩きやすい一日でした。
8時55分に天理駅を出発して、駅前から天理教本部へと続く本通りを通って、石上神宮へ向かいます。
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明治10年から天理教のお神酒を作っている稲田酒造です。
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この通りは、天理教の門前町で、天理教の衣装や神具店が多く並んでいます。
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天理教本部です。
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歩道の真ん中の所々に、このようなプレートが埋め込まれていました。
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石上神宮の鳥居横の公園の前に、柿本人麻呂の万葉歌碑が建てられています。
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参道を歩いていった奥の鳥居です。
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参道横にも、柿本人麻呂の歌碑がありました。
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夏越し茅の輪が立てられていました。
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石上神宮は日本書紀に記される伊勢神宮などと並ぶ日本最古の由緒ある神社の一つです。鎌倉時代に建てられた重要文化財の楼門です。
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拝殿は鎌倉時代のもので、現存するものとしては日本最古で、国宝です。ここで、まず参拝です。
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拝殿の奥は、禁足地となっていて「布留社」(ふるしゃ)と刻まれた剣先状の石玉垣がビッシリと禁足地を囲んでいるそうです。もともとはここに本殿は無く、禁足地の土中深くには磐坐があって、神武天皇東征のときにあらぶる神を平定したという神剣・布都御魂剣(ふつのみたまつるぎ)が埋斎されていると言いつたえられ拝殿から遥拝されてきました。明治七年、菅政友大宮司によりこの禁足地が発掘され、言いつたえどおり剣一振りと管玉や勾玉・矛などの宝物が発見され、これを布都御魂(ふつのみたま)として本殿が造営され、祀られました(神宮のHPより)。禁足地に建てられた本殿です。垣の隙間から撮影しました。
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内側から見た楼門です。
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境内には多くの鶏が放し飼いされています。
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神宮から山の辺の道が続きます。
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三叉路や四つ辻ごとにこのような標識が立てられていて、道に迷うことはありません。以前はなかったので、わりに最近建てられたものと思います。
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芭蕉の句碑がありました。
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明治の廃仏毀釈により破壊されたという、内山永久寺の跡です。大変壮大な寺院だったようです。
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唯一残ったという本堂池です。
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柿畑が続きます。
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林の中の小道を進んでいきます。
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途中にあった、名もない神社です。このような小さな神社が数多くあります。
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天理の街並みが一望できるスポットが有りました。
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夜都伎神社に着きました。
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拝殿とその奥の本殿です。
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竹野内環濠集落への分岐です。環濠集落の方へ寄り道しました。
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今は、環濠はごく一部しか残っていないようです。その残っている環濠です。
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先の分岐点に戻って、山の辺の道をさらに南へと歩いていきます。所々に歌碑が立っています。
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念仏寺です。門を入った所に、変わった木が植えてありました。
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野道の真中に、休憩所が作ってありました。
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柿本人麻呂の歌碑です。後ろの山は、龍王山ではないかと思います。
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1707-39-山辺の道-IMG_0771b 歌碑説明

長岳寺です。ここはいつも素通りなので、今日はゆっくり拝観することにしました。花の寺としても知られていますが、生憎今はほとんど何も咲いていませんでした。
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重文の楼門です。
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楼門をくぐってすぐ左手に、本堂があり、阿弥陀三尊(重文)や多聞天、増長天(重文)など、美しい仏さんが並んでいましたが、撮影禁止なので写真はありません。本堂の外観の写真も撮り忘れました。
さらに奥へ行くと、弘法大師を祀った拝堂がありました。
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その奥の急な階段を登っていくと、大きな石に掘られた、大石棺佛がありました。
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庭園に立っている鎌倉時代の十三重塔です。
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放生池です。その向こうに楼門と本堂の屋根が見えます。
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入口近くの旧地蔵院です。今は庫裏になっています。
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庫裏の中にある、延命殿です。
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庫裏のかまどが並んでいる横にテーブルが置かれていて、そうめんを頂けるとのことで、早速昼食に頂きました。美味しかったです。
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長久寺をあとにして、さらに南へ歩き出すと、雨が降ってきました。大した雨でないので傘でしのぎますが、降ったりやんだりなので、傘を広げたりたたんだりしていると、1時間位で止んで青空が広がってきました。龍王山への道との分岐です。右の石畳に道を下っていきます。
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大神神社の摂社で、三輪鳥居(三ツ鳥居)の美しい、檜原神社です。檜原台地に立つこの神社は、拝殿も本殿も無く、鳥居の奥は山です。
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鳥居の反対側の正面に、二上山が見えます。
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さらに林の中の小道を南へ行きます。
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狭井神社に着きました。
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参拝をしたあと、三輪山登拝の手続きをして鈴の付いたたすきを受け取り、大神神社の御神体である三輪山へ入ります。登山口の鳥居をくぐったあとは、写真撮影、水分補給以外の飲食など一切禁止です。したがって、下山するまでの写真はありません。
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登山道は、殆どが階段で、自然石を積んだものも多くありました。直前に降った雨のため濡れていて滑りやすく、かなり急な道も多くて登りは思ったよりしんどかったです。素足で登っている方も、多く見かけました。私の直後から来た十数名の若者男女は、全員素足でした。道はよく整備されていて、石も表面が平らなものが多く、素足でもそう痛くはなさそうでした。真似をする気は毛頭ありませんが。頂上は岩が並んでいる神聖な所で、中へは入れません。頂上も、途中の道も眺望はまったくなく、ただひたすら神聖なお山に登らせていただいているという気持ちです。下りは特に滑りやすく、気を使いました。所要時間は、登り65分、下り42分でした。

狭井神社から少し歩いて、大神神社です。本殿正面に「夏越し茅の輪」が、ここでは3つ連なっってあり、通り方の説明があったので、その通りにくぐりました。
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神社の参道入口です。裏から入ったので、正面から出て、三輪駅に向かいました。
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所要時間7時間6分、歩行時間5時間32分、歩行距離24.3Kmでした。寄り道をしながら歩くと、意外と時間がかかりましたが、お天気もまずまずで、念願の三輪山にも登拝でき、充実した一日でした。
2日の日曜日は、琵琶湖10回割の6回目です。





個人的ウォーク | 19:46:35 | コメント(4)
海住山寺
6月24日(土)曇

加茂駅→恭仁大橋→恭仁宮跡→加茂神社→デ・レーケ堰堤→加茂神社→海住山寺→瓶原→恭仁大橋→加茂駅(10Km)

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ここ数週間、都合でウォーキング等に出かけられていませんが、今日は、昼から近くの海住山寺(かいじゅうせんじ)へ行くことにしました。一般には車道を登っていくようですが、ちょっと分かりにくいのですが、別に登山道があります。
自宅を出て、加茂駅前を13時27分に通過、恭仁大橋へ向かいました。加茂駅前(東側)です。
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恭仁大橋から見た、木津川上流と下流です。
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橋を渡った所に、大伴家持の恭仁京を讃える万葉集の歌碑があります。
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その先を左手の細い道に入り、瓶原(みかのはら)の田圃の中の道を北へと進み、国道の下をくぐって恭仁宮跡へと向かいます。
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恭仁京は、奈良時代(740年)に聖武天皇によって、平城京から遷都され、大極殿などが平城京から移築されましたが、4年余りで難波宮に遷都されたという、短命の都です。その後、大極殿は山城国分寺の金堂として再利用されています。国分寺の七重塔の基壇跡だけが残っています。
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大極殿跡の一部には、恭仁小学校が建っていて、学校の敷地内に「大極殿跡」の石碑が立てられています。恭仁京跡が発掘される前に小学校が建ったようで、一帯が国の史跡に指定されたため、校舎の建て替えができずに昭和初期の建物を耐震補強などしながら今も使っています。
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小学校の裏には、大極殿の礎石の一部が残っています。
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北に見える山(海住山)の中腹に、海住山寺があります。
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大極殿跡の北は、天皇の住居である内裏があったと考えられています。
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さらに北へ行ったところにある、案内板です。海住山寺とある右の道は、車道へ続きます。分かりにくいですが、登山道は左のデ・レーケ堰堤とある方です。
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山手に入っていくと、このような案内板がありました。
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山道を進みます。
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小さな加茂神社です。登山道は、この前を右手に登っていきます。
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案内がないので分かりにくいですが、左手の荒れた道を少し入っていくとデ・レーケ堰堤があります。
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デ・レーケ堰堤です。デ・レーケは、明治6年に御雇工師として招かれたオランダ人技師で、日本各地で砂防や治山工事を指揮して、堤防や堰堤を築いていて、現存するものも多くあります。何故、加茂の山中にデ・レーケが堰堤を築いたのかは分かりませんが、今は全く使われていなくて、荒れるに任せているようです。数年前に来たときには、まだきれいな石積みの全貌が見えていて、こんなに荒れていなかったのですが、貴重な遺構としてもう少し手入れできないものかと思います。
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その先にも道が続いているので、少し行ってみると倒木などで覆われていて、途中で道がなくなっていました。
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加茂神社まで引き返して、右手の登山道へ入ります。雑木林の中の気持ちのよい道が続きます。
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15分ほどで海住山寺境内への道との分岐に着きました。境内に入るには、入山料100円が必要です。このまま真っ直ぐ行くと、境内を迂回できます。
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すぐ横に、罠が仕掛けてありました。猪や鹿が出るようです。
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境内への道です。
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境内へと続く階段を登っていきます。
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海住山寺本堂(重文)です。海住山寺は、奈良時代、恭仁京造営に先立って、工事の平安を祈るため海住山中腹に建てられのがその起源で、その後廃れた後、鎌倉時代に貞慶によって中興されたものです。現存の建物は、その頃のものです。
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国宝の五重塔です。鎌倉時代のもので、総高17.7mと、室生寺に次いで小さい塔で大変美しい姿をしています。年に一度、秋に内部が公開され、拝観に行きましたが、初重の内陣は厨子風に造られ、8枚の扉に一体ずつ、華麗な彩色で梵天・帝釈天などの天部や比丘像が美しく描かれていています。
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重文の文殊堂です。
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本堂横に「持ち上げ大師」というものがあり、持ち上げて願を掛けると叶うそうで、持ち上げてみましたが、10Kg足らずくらいで、思ったほど重くはなかったです。
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その前の道を登っていくと広場に出ます。眺望が開けて加茂の街がよく見えました。この右手の道から、三上山(さんじょうさん)や神童寺へ行くことができます。
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帰りは車道を下りることにしました。少し下った所にある山門です。
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車道は、コンクリート舗装の大変急な坂で、ヘアピンカーブの連続ですが、あっという間に下りられます。
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このあとは、瓶原を通って、来た道を加茂駅前まで戻りました(15時53分着)。
所要時間2時間25分、歩行時間1時間56分、歩行距離9.2Kmでした。久しぶりに山歩きをちょっぴり楽しみました。
余談ですが、「山」を「せん」と読むのは、関西では珍しいですね。鳥取、島根、岡山県北部には、大山、蒜山、弥山(鳥取、島根、山口、広島の他、奈良にもあるようです)などたくさんあります。全国の「せん」と読む山を調べた人があって、全部で70あまりあるそうで、その大半が上記3県に集中していて、一部佐渡と隠岐にもあるそうです。どうも渡来人に関係しているらしいです。







個人的ウォーク | 11:11:21 | コメント(2)
当尾から笠置へ

1月21日(土)曇り時々晴れ

(自宅)→南加茂台1丁目→千日墓地→石仏の道→カラスの壺二尊→わらい仏→弥勒磨崖仏→府道33号線→笠置いこいの館→JR笠置駅(16Km)

1701-00-軌跡

今日もまた自宅近くを歩いてきました。比較的穏やかなウォーキング日和で、当尾の石仏を見ながら、岩船寺近くから府道33号線で笠置へ行き、温泉でくつろいでで列車で帰りました。
加茂から笠置へはまっすぐ行けば近いのですが、国道以外に直通ルートがありません。以前、団体で関西線近くの山田を通って笠置へ行ったことがありますが、、ややこしいルートで、一人では行けそうにないので、だいぶ遠回りですが、岩船寺近くから府道を通っていく、わかりやすいルートを取りました。
途中までは、前回と同じで千日墓地を通る山越えの道で府道47号線に出て、岩船寺への「石仏の道」に入ります。三叉路に入った所に道標と変わっった形のあたご燈籠があります。当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。
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杉林の道を行きます。
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少し行くと、カラスの壺二尊が道沿いに立っていました。正面に阿弥陀如来坐像があり、地蔵菩薩立像は、岩の左横に掘ってあり、ちょとわかりにくいです。
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1701-05-笠置-IMG_1434カラスの壺説明

しばらく歩くと、「唐臼のつぼ」という真ん中に穴の開いた大きな石かあります。何かの建物の礎石ではないかと言われていますが、なぜここにあるのか不思議です。
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しばらく山道を歩きます。
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岩船寺へ向かう階段の道です。ここへは登らないでさらにまっすぐ行きます。
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すぐ先に、眠り仏と笑い仏があります。眠り仏は、半身が土に埋もれて眠っているようです。
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笑い仏は、永仁7年(1299)の銘文があり、当尾の代表的な石仏です。
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1701-11-笠置-IMG_1444 わらい仏説明

暫く歩くと、府道に出ますが、その三叉路に弥勒磨崖仏があります。線刻画ですがちょっとわかりにくいです。
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1701-13-笠置-IMG_1449 弥勒磨崖仏説明

この向かいから、岩船寺の裏を回っていく道がありますが、そちらへは行かずに府道を行きます。
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道沿いにあった、九頭神社です。
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小川に沿って府道33号線を北へ向かいます。ゴミ処理場があるようで、ゴミを積んだトラックが盛んに通ります。特に見るものもなく、単調な道を先へ急ぎます。
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京都と奈良の県境です。
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京都側に入ってすぐの所に、石仏群がありましたが、何も説明がないのでどういうものかわかりません。
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京都側に入ると、人家もほとんど無く、府道が狭くなり、川も自然のままで、車も急に少なくなって気持ちよく歩ける道になりました。
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笠置近くに、コウモリ博物館がありましたが、中へは入りませんでした。
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今日の目的地、笠置駅近くの、笠置いこいの館に着きました。ここの食堂で昼食を摂り、温泉に入りました。ここの露天風呂は、庭のようになっていて、浴槽は庭の池の様な感じで、とてもここち良いです。
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笠置駅前には、笠置合戦の様子を表した人形群があります。
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1701-24-笠置-IMG-1468 説明

加茂から亀山までの関西線は、まだ電化されていなくて関西では珍しい、ワンマンのディーゼルカーが走っています。

歩行距離16.1Km, 歩行時間2時間54分でした。





個人的ウォーク | 15:18:51 | コメント(0)
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