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Old Walker

Author:Old Walker
関西地方を中心にあちこち歩いています。
時には、ぶらりと旅に出たりもします。

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郡山城址と佐保川の桜

4月13日(土)晴


JR郡山駅→郡山城址→羅城門跡→佐保川右岸→奈良県立図書情報館→佐保川左岸→大仏鉄道記念公園→JR奈良駅(13Km)

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朝から雲一つない快晴、例年なら既に散ってしまっている桜が、まだ殆ど残っているようなので、奈良の花見に出かけました。私にとっては何度も歩いているおなじみのコースですが、特に佐保川の桜並木は郡山から奈良市内まで1000本以上の桜が5Km以上に渡って続く、私の知る限り最も素晴らしいものです。
郡山城址の堀の周りの桜は、まだほぼ満開に近い状態でした。毎年、桜の時期にお城まつりが開催され、屋台が色々出て、大勢の人で賑わいます。今年は、7日までで既に終わっていて、人出もまばらでした。お城のガイドの方は、お城まつりが終わっても、これだけの桜が残っているのは初めてだと言っておられました。
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城内の公園には、「歴代皇陵遥拝所」の碑が立っています。
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天守台近くには、郡山藩初代城主・柳沢吉保を祀る柳澤神社があります。拝殿と側面から見た本殿です。
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そのすぐ奥に、天守台の石垣があります。石垣が破損してきたため、長期間修復工事が行われていましたが、1年ほど前に完成し上に登れるようになりました。
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天守台からは、四方が見渡せます。東方には、郡山から奈良盆地、若草山などが見えます。
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北西方向には、遠く金剛山、葛城山、二上山が見えます。2枚目の写真は、ズームの倍率を上げて撮ったものです。
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天守台の石垣は、石仏や石塔、羅城門礎石等の多くの転用石材が用いられていて、逆さにはめ込まれた地蔵まであります。
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追手門近くには、明治建築の美しい建物があります。これは、奈良公園に建てられた旧県立図書館の本館部分で、ここでは城址会館として使われています。
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追手門です。この辺の桜は殆ど散っていました。
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追手門前の追手向櫓です。
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城跡の外へ出て、堀に沿って少し北へ行くと、追手東角櫓の近くに有名な枝垂れ桜の大木がありますが、既に花は全部散ってしまっていました。2枚目の写真は2016年に同じ場所で撮ったものです。
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西へ向かってしばらく行くと、国道24号線の高架下に、平城京の朱雀大路と九条大路の交差点跡があり、羅城門跡の案内板が立てられています。
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佐保川右岸を少し歩くと、桜並木が始まります。ここはほとんど満開でした。
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河原の菜の花も満開です。
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満開の桜並木がずっと続きます。
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県立図書情報館で昼食を摂り、しばし休憩したあと、左岸に渡りました。左岸は遊歩道になっていて桜並木の下を歩けます。
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奈良市内に入ると、少し花が少なくなってきました。
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所々に植えられているカエデやすっかり葉桜になった新緑もまた桜に映えて美しいです。
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大仏鉄道記念公園近くには、幕末の奈良奉行・川路聖謨が植えたという、「川路桜」の古木があります。
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大仏鉄道記念公園の枝垂れ桜は、まだなんとか花が残っていました。ここは、大仏鉄道の終点「大佛駅」のあった所で、枝垂れ桜の名所としても知られています。
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このあとは、JR奈良駅まで歩いて帰宅しました。
3月末の名古屋城から始まって、大阪、京都で満開の桜を楽しんだあと、おまけとして名残の奈良の桜も満喫でき、桜三昧の春でした。




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個人的ウォーク | 17:11:29 | コメント(2)
京都散策 満開の桜を愛でながら

4月9日(火)晴


京阪・祇園四条→祇園白川→巽橋→白川分水界→平安神宮→疎水→鴨川東岸→荒神橋→京都御苑→京都迎賓館→近衛邸跡→出町桝形通→出町橋→賀茂川東岸→北大路橋→京都府立植物園→地下鉄北山駅(11Km)

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快晴の一日、友人と二人で京都へ満開の桜を求めて歩きに行きました。余り外国人観光客の訪れないコースで、平日とあって何処ともそれほどの混雑はなく、のんびり歩いて桜を満喫しました。
まず、京阪祇園四条駅から白川沿いに歩いて平安神宮へと向かいます。白川は、比叡山と如意ヶ嶽(大文字山)との間から流れ出し、動物園近くで疎水と合流したあと、近代美術館のところで疎水と分かれて「祇園白川」として風情のある祇園の町家の中を流れて行き、鴨川と合流します。祇園白川は、また、桜の名所としても知られています。
川端通りから祇園白川に入り、桜並木の下を歩いていきます。
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少し行くと、吉井勇の「かにかくに」の歌碑があります。
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巽橋前の交差路に出ました。橋の前では、モデルさんの撮影をしていました。
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その右手には、辰巳大明神があります。これは、御所の辰巳の方角の守護神として祀られたもので、今では、祇園の芸妓や舞妓が芸事の上達を願う神として、また、商売繁盛の神として信仰されています。
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辰巳大明神の右手の路地には、茶屋などの古い町家が立ち並んでいます。
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巽橋から見た白川の上流側と下流側です。
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その少し先には、明智光秀の首を埋めたという「光秀の塚」があります。
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岡崎に近づいて来ると、明治時代に造られた「もっこ橋」という細い橋があります。
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そのすぐ先に疎水との分水界があり、白川と疎水を讃える詩碑があります。
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平安神宮の鳥居が見えてきました。
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慶流橋から見た疎水上流側です。美術館裏の桜が見事です。
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平安神宮の應天門です。
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平安神宮は、神苑の桜が目的です。左端が神苑の入口ですが、まず、正面の拝殿で参拝しました。
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桜の時期に神苑を訪れるのは初めてです。案内図がありました。神苑は、総面積約一万坪の広大な池泉回遊式庭園で、東・中・西・南の四つの庭からなっており、国の名勝に指定されています。
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まず、南神苑に入ると、満開の八重紅枝垂桜の林が一面に広がっていました。
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その少し先に、日本最古の電車が展示してありました。昭和36年まで北野線の「チンチン電車」として走っていて、私も乗ったことがあります。
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中神苑の蒼龍池(明治28年作庭)には、一羽の白鷺が休んでいました。
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東神苑の泰平閣(橋殿:京都御所から移築)が栖鳳池の向こうに見えます。右端の尚美館は貴賓館です。
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神苑を出て、疏水に沿って西へ鴨川に向かいます。最近運行を始めた疎水の観光船が、丁度目の前を通って行きました。
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疎水沿いの桜も満開です。
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鴨川近くは大島桜の並木道です。
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鴨川に出て、東岸河川敷を北へ歩いていきます。鴨川沿いも桜並木が続きます。
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荒神橋を渡って、京都御苑に入ります。北西端の近衛邸跡の枝垂れ桜を見に行くつもりで京都迎賓館の前を通ると、事前予約など無くても見学できるというので、中に入ることにしました。正面入口です。
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この前から地下に降りて、セキュリティチェックを受けます。空港並みの厳重なチェックの後、荷物をロッカーに入れ、参観料1,500円を払い、1階に上がって正面玄関から中へ入ります。玄関を入ったところの廊下です。
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中庭の池です。
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大臣会合などの会議や晩餐会の待合などに使われる、かなり広い「夕映の間」です。東側の壁画は、比叡山を月が照らす様を描いている綴織りの織物です。反対側は、愛宕山に沈む夕陽を描いています。
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部屋の中央に、天皇、皇后両陛下の正装用装束の生地が展示してありました。左端は、天皇の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)、中央と右端は皇后の十二単唐衣のもので、いずれも人間国宝の喜多川俵二作です。
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次の部屋は、迎賓館で最も大きな「藤の間」で、洋食の晩餐会や歓迎式典などに使用されるものです。正面の大きな壁画は、日本画家の鹿見喜陌の下絵を元にした綴織りです。晩餐会用のテーブルセットが展示してありました。
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その次の「桐の間」は、「和の晩餐室」で24名までの会食が出来ます。
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桐の間から日本庭園が見えます。
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中央の大きな池です。池には、賓客を舟遊びでもてなすための和舟があります。
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2005年に開館したこの迎賓館は、日本の伝統技能の粋を集めて造られたもので、建物だけでなく全ての調度品も素晴らしいものでした。
迎賓館を出て、近衛邸跡へ向かいました。枝垂れ桜で有名なところですが、殆どの木はもう花が散ってしまっていましたが、品種が違うのか何本かは見事な花をつけていました。
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出町へ向かい、食事をするところを探しながら、枡形通りを奥まで行くと、京料理の店「ろろろ」を見つけて昼食を摂りました。人気の店だそうで、ちょうど二人分の席が空いていました。ランチは手頃な値段で美味しかったです。
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出町橋を渡って、再び賀茂川東岸を北へ歩いていきます。ずっと桜並木が続きます。
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北大路橋を越えると、紅枝垂れ桜の並木に変わります。
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府立植物園の入口のところから上の道へ出て、正門から植物園に入ります。70歳以上の高齢者は無料です。入口の花壇とその奥に桜園が見えます。
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桜が赤いチューリップに映えます。
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比叡山がきれいに見えました。
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桜は満開です。
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北山門近くのチューリップとムスカリの花壇です。
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北山門から出て、地下鉄で帰宅しました。
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今日は、素晴らしい天気で、満開の桜を堪能した上に、素晴らしい迎賓館を見学でき、満足の一日でした。私は、京都で生まれ育ち、30年近く住んでいましたが、花見に出かけたのは嵐山くらいで他は余り記憶にありません。これだけの桜をまとめて見るのは初めてです。このコースを考えた友人のMさんに感謝です。




個人的ウォーク | 06:59:15 | コメント(0)
月ヶ瀬梅渓散策

3月9日(土)晴


JR月ヶ瀬口駅→(バス)→月ヶ瀬梅渓・尾山→真福寺→みおろし茶屋→尾山天神神社→ロマントピア月ヶ瀬→遊歩道「もみじの小路」→八幡橋→月ヶ瀬橋→尾山→(バス)→月ヶ瀬駅(10Km)

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月ヶ瀬梅渓は、名張川下流域(五月川)のV字渓谷沿いに広がる梅林で、1922年に日本政府が最初に指定した名勝の一つです。後醍醐天皇の女官が、真福寺の境内に梅の木を植え烏梅(うばい、染色の原料)の製法を教えたのが梅林の始まりとされる、古くから知られる梅林で、標高2~300mの高原にあることから、梅の開花も遅く、3月中旬から下旬に満開になるようです。ただ、交通の便は非常に悪く、奈良方面からは、この時期のみの臨時バス以外には、車で行くしかなさそうです。
今日は天気も良いので、列車とバスで行ってみることにしました。月ヶ瀬口駅からは、三重交通の臨時バスが出ていて、梅渓の上の方の尾山に着き、そこから梅林と渓谷を眺めながら下へ降りていくことになります。

バスを降りて少し下った所に「月ヶ瀬梅林発祥の地」という真福寺があります。このお寺は、1117年の創建と言われており、江戸時代中期に再建されて現在に至っています。境内には、しだれ梅初め多数の梅が植えられていましたが、まだ少し早かったようで満開にはなっていませんでした。
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そこからさらに少し下った所に、みおろし茶屋があります。その展望台には、しだれ梅が植えられており、下を見下ろすと名張川の渓谷が一望できます。
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更に少し行った所に、尾山天神神社という小さな祠があります。この地で没した後醍醐天皇の女官姫若を祀る神社で、元は真福寺境内に創建された由緒ある神社のようです。
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神社裏の展望台からは、名張川とそれに架かる月ヶ瀬橋が一望できました。
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この先から、川まで急坂を降りる道があるのですが、災害復旧工事のため通行止めになっていて、茶店で道を訪ねたら、一旦上の県道まで戻り、県道を降りて行くしか無いと言うので、県道沿いにあるロマントピアを目指して歩いていきました。途中にある梅林です。
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茶畑もありました。このあたりは、大和茶の産地で所々の斜面に茶畑がありました。
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ロマントピアで昼食を摂り、県道を歩いていくと、古そうな愛宕灯籠が立っていました。
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途中で遊歩道「もみじの小路」に入り、西へ向かいます。道路沿いはカエデばかりで梅は全くありません。ここは、秋が良さそうです。
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八幡橋が見えてきました。
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広い道路に出る所にある梅は満開でした。川沿いはだいたい満開のようです。
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ダム湖(月ヶ瀬湖)に沿った斜面に茶畑が広がっていました。
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美しい吊橋・八幡橋を通って対岸に渡ります。
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対岸から見た八幡橋と満開の梅林です。
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所々に咲いている梅を眺めながら、川沿いに東へ歩いていきます。歩道がなく、車が多くて歩きにくい道でした。月ヶ瀬橋を渡ります。
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橋から見た月ヶ瀬湖です。
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川沿いにさらに東へ歩いていきます。対岸の梅が満開です。
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この後は、車道を尾山の臨時バス停まで登って行き、帰途に着きました。
所要時間3時間32分、歩行時間2時間35分、歩行距離10.3Kmでした。
川沿いの梅は満開でしたが、山の上は6~7部咲きで、もう少し後のほうが良かったと思いますが、絶好の晴天で青空に梅と渓谷が映えてきれいでした。月ヶ瀬梅渓へは、10年ほど前に家内と車で行って以来ですが、なかなか良い所です。晴天の土曜日とあって、大勢の人で賑わっていましたが、殆どが車かツアーバスで来ているようでした。




個人的ウォーク | 11:26:00 | コメント(2)
茶源郷 和束散策

1月13日(日)晴


加茂駅→恭仁大橋→瓶原(みかのはら)→加茂町奥畑→石寺の茶畑→撰原の茶畑→活動ケ丘公園→和束茶カフェ→中和束→実相寺→鎌塚の茶畑→正法寺→安積親王陵墓→加茂町奥畑→恭仁大橋→加茂駅(20Km)

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木津川市加茂町北部から和束町、その東に位置する南山城村は、お茶の大産地で、宇治茶の大部分を生産しています。特に、和束町は京都府内で栽培されるお茶の約4割を生産しています。山の斜面一帯に広がる茶畑の景観は素晴らしく、平成20年に京都府景観資産第1号に登録され、また、平成27年には文化庁により日本遺産に選定されています。さらに、京都府では[宇治茶の文化的景観」として世界文化遺産への登録を目指して活動を続けており、その中に和束の茶畑も含まれています。
今日は天気も良く、絶好のウォーキング日和なので、久しぶりに和束へ美しい茶畑を見に行くことにしました。茶畑は、秋の刈り取りが終わって、新芽もまだ出ていなくて、形の整った冬が一番美しく、春になり新芽が出てくる頃には、茶畑全体に日よけがかけられ、真っ黒けになります。
加茂駅前から、北へ向かい木津川にかかる恭仁大橋を渡り、更に北へと行くと、加茂の茶畑が見えてきます。
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この道の突き当りを左へ行くと、海住山寺入口、さらに、奈良時代聖武天皇の時に一時都が遷された恭仁宮跡へと続きます。ここを右へ、山の方へと歩いていきます。その道沿いに、鎌倉時代に造られた大井手用水という、和束川から約7Kmも続く農業用水路があります。これは一帯の稲作に今も使われています。
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加茂から和束へと続くこの道は、その昔、恭仁京と紫香楽宮を結んでいた古官道「恭仁京東北道」です。道の両側の斜面に茶畑が続きます。
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機械で刈り取るので、きれいに整形されています。
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かなり古そうな愛宕灯篭が路傍に立っていました。下部に[愛宕山」と掘られているのがかろうじて読み取られます。「愛宕山」の表記から江戸時代以前のものではないかと思われます。
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和束で最も美しいと言われる、石寺の茶畑です。撰原の茶畑と共に、京都府景観資産に登録されています。
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そこから少し登ったところにある、撰原の茶畑です。1901-10-和束-IMG_0306 1901-11-和束-IMG_0277 1901-12-和束-IMG_0278 
和束散策の中心に位置する活動ケ丘公園に着きました。入り口に立っている石碑の下に、大伴家持の歌碑があります。
「吾が大君 天知らさむと 思わねば おほにそ見ける 和豆香(わづか)杣山(そまやま)」(万葉集) 巻3-0476 挽歌
774年(天平16年)に、聖武天皇の皇子であった安積(あさか)親王が17歳で恭仁京にて亡くなりましたが、藤原仲麻呂による毒殺と言われています。その死を悼んで詠まれた挽歌です。安積親王は、和束の地をを愛し度々訪れていたことから、このすぐ近くに陵墓があります。
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この公園のすぐ近くに和束茶カフェがありますが、丁度改装工事中で、公園内の「てらす和豆香」内に臨時店舗がありました。ここで、お茶を買ったりしてしばし休憩です。
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和束川の方へ行くと、目の前に安積親王陵墓が見えます。上からの見晴らしが良いので、あとで登ることにします。
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丁度昼時なので、和束川沿いに最近できた、茶畑での収穫から販売までを手がけているという「d:matcha Kyoto」で「煎茶と大葉のジェノベーゼセット」を食べました。パスタの上に煎茶の葉が乗っていて美味しかったです。目の前の釜塚の茶畑を眺めながら食事ができます。
その後、南へ向かい、実相寺を訪れました。門の脇に立つ榧(カヤ)の大木は、樹齢500年と言われているそうです。
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京都府景観資産登録地域の釜塚の茶畑です。
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府道62号線に出たところにある、紅葉の名所で知られる正法寺にも立ち寄りました。このお寺は、天平16年(744年)安積親王の菩提を弔うため、行基により創建されたと伝えられている古刹です。緩やかな石段を登って行きます。
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書院と本堂前の勅使門です。書院の隣の本堂は、改修工事中で足場などで囲われていました。
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和束川を渡ります。
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安積親王陵墓に登りました。茶畑の中にちょっと歩きにくい石畳の階段が続いています。
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頂上部分にある陵墓です。
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陵墓の柵の外を一周できます。ここからは、和束町が一望できます。
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このあと、来た時とほぼ同じ道を通って帰途につきました。茶畑の間に、製茶工場がいくつか建っています。最近は、和束町内で製茶し、「和束茶」のブランドで売り出しています。
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しばらく道の両側に茶畑を眺めながら歩きます。帰りはだいたい下りなので楽です。
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石寺の茶畑の手前から、行きに通った道の一つ山側を通りました。この方が近いのと、上から茶畑全体を見渡せます。石寺の茶畑です。
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加茂へ戻ってきて、恭仁大橋を渡ります。木津川の上流側です。ここから上流は、コンクリートの護岸工事などがして無くて、自然が残る美しい景色です。
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所要時間6時間9分、歩行時間4時間35分、歩行距離20.2Kmでした。
久しぶりに和束へ行きましたが、以前に比べ茶源郷の宣伝がだいぶ行き渡ってきたのか、寒い時期にも関わらず、そう多くはないですが、観光客も見られ、新しい飲食店やお茶を使ったスイーツの店などもだいぶ出来ていました。でも、世界遺産に登録されて観光客が押し寄せるようなことになると、道も狭いし、駐車場もあまりない所なので、どうなるか心配です。それに、茶畑に入り込んで写真を撮ったりする人達も出てきそうで、あまり開発が進むのもどうかと思います。この美しい景観をいつまでも守っていってほしいと思います。



個人的ウォーク | 16:55:00 | コメント(2)
初詣 浄瑠璃寺

2019年1月2日(水)曇


新年おめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。

穏やかな新年を迎え、初詣に浄瑠璃寺に行ってきました。当地に移ってきてから、だいたい毎年初詣は近くの神社と浄瑠璃寺に行っています。浄瑠璃寺まで、自宅から山道を通って往復約10Kmです。私の好きなウォーキングコースの一つで、四季折々に移り変わる里山の美しい景色を楽しみながら何十回となく歩いています。

GPSの軌跡と高度です(軌跡は途中から始まって途中で終わっています)。
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途中に鎌倉時代から続き、今も使われている千日墓地があります。墓地の入口にある鳥居の横には、鎌倉時代に造られ、国の重要文化財に指定されている十三重塔が立っています。
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誰にも遭わずに山道を歩いていきます。
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浄瑠璃寺に着きました。
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国宝の三重塔です。
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初層内部に安置されている秘仏・重要文化財の薬師如来像が特別公開されていて、中を覗くことが出来ましたが、暗くて良く見えません。写真撮影は禁止されているので、写真はありません。
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三重塔の前から見た、梵字の阿字をかたどったと言われる宝地と、九体の阿弥陀如来像が安置されている本堂です(いずれも国宝)。三重塔と本堂は真東と真西に配置されており、「此岸」(現世)と「彼岸」を現していると言われています。
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池の中央の弁財天を祀る小島への橋の上に、見慣れないサギが1羽止まっていました。
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この後は、大門仏谷の磨崖仏、加茂青少年山の家の前を通って帰りました。歩行距離は9.6Kmでした。



個人的ウォーク | 20:17:00 | コメント(4)
みたらい渓谷ハイキング

11月15日(木)晴


天川川合バス停→吊橋→みたらい遊歩道入口→遊歩道→哀伝橋→光の滝→観音峰登山口→洞川温泉→龍泉寺→大峰蛇之倉七尾山→五代松鍾乳洞入口→ごろごろ水→洞川温泉(13Km)

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天気も良いので、友人と二人でみたらい渓谷へ行きました。近鉄下市口駅から、約1時間バスに揺られて天川川合まで行きます。バス停の前の観光案内所で地図などをもらって、10時18分にスタートしました。この地点で、標高675mで、かなり気温が低いです。
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車道を少し歩いてから、遊歩道に入ります。まず、人数制限5人という小さな吊橋を渡ります。橋の上からの眺めは素晴らしいのですが、残念ながら紅葉の盛りはだいぶ過ぎていました。
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渓谷沿いの遊歩道入口に着きました。木々の葉は殆ど落ちていて、落ち葉を踏みながら歩いていきます。
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川の畔には所々、色づいた木々が見られました。
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登っていくと、河原には白っぽい巨岩がゴロゴロ転がっていました。
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近畿自然歩道の標識がありました。
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また小さな吊橋を渡ります。これは、定員10名になっていました。下を見ると、かなり高いところを渡っていました。このような吊橋が数多くあります。
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 小さな滝が、あちらこちらにあります。 1811-13-みたらい渓谷-IMG_6614 
急な階段を登っていきます。このあたりは、ずっと急な登りです。 1811-14-みたらい渓谷-IMG_6616 
哀伝橋です。これも吊橋ですが、かなり頑丈な橋で定員はないようです。
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この橋も、かなり高い所に架かっているので、眺めは素晴らしいです。
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ここが、渓谷一番の絶景ポイントで、紅葉の名所ですが、ほとんど散ってしまっていました。右の写真は、「近鉄ニュース」11月号の表紙で、ほぼ同じ場所で撮られたもので、この景色を期待して来たのですが、残念です。
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滝を眺めながら歩きます。
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また吊橋がありました。
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急な階段を登っていきます。
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ここは、ツキノワグマの生息地だそうです。
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観音峰登山口の休憩所で昼食を摂りました。ここまでは、バスも入れるのでツアー客がお大勢弁当を食べていました。
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洞川温泉入口の門がありました。
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車道を離れて、再び遊歩道に入ります。杉林の美しい、わりに平坦な道が続きます。
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洞川温泉に着きました。ここは大峰山の登山口で、行者宿と陀羅尼助の店が立ち並んでいます
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大峰山登山の行者がお参りするという、龍泉寺です。
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境内の紅葉はまだだいぶ残っていました。
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大峰登山の前に行者が身を清める水行場です。
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本堂と境内の一部です。
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そこから車道を登っていくと、途中に大峰蛇之倉七尾山がありました。古来から大蛇が棲息し、人に危害を加えると言われ、蛇の倉と呼ばれていたそうです。
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「蟷螂の倔」の降り口です。下には降りて行きませんでした。
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大峰山登山口への道です。
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五代松鍾乳洞の入口です。
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名水百選に選ばれた、ごろごろ水の源泉です。五代松鐘乳洞で磨かれ、半世紀をかけて石灰岩相から湧出する、炭酸カルシウムを含む弱アルカリ性の水です。
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その近くに採水場があり、大阪などから車に数十個のポリタンクを積んで採水に来る飲食店の人が多いそうで、駐車位置ごとに水栓が付いていて水を汲めるようになっていました。ここに止まっている車は全て水を汲みに来た人達でした。
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杉林の道を戻っていきます。
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温泉に入ってゆっくりしてから、バスで帰りました。
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所要時間4時間38分、歩行時間2時間42分、歩行距離12.9Kmでした。
天気は良く、渓流の景色は素晴らしいのですが、期待していた紅葉が終わってしまっていたのは残念です。洞川温泉の高度が830mあるので、気温も低く、紅葉もだいぶ早いようです。



個人的ウォーク | 15:21:00 | コメント(2)
大仏鉄道遺構と当尾の石仏めぐり

5月6日(日)晴


木津駅→大仏鉄道公園→赤橋→鹿背山不動尊→梶ヶ谷隧道→鹿背山橋台→観音寺橋台→高田寺→加茂青少年山の家→大門仏谷→藪の中三尊→浄瑠璃寺→わらい仏→みろくの辻→岩船寺→白山神社→一願不動→千日墓地→南加茂台→加茂駅(18Km)

GPSの軌跡と高度です。軌跡の最後・加茂駅付近が途切れています。
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今日も、いつもの仲間5人で、木津駅から大仏鉄道の遺構を見て歩いた後、新緑の美しい当尾の里を訪ねて歩きました。この辺りは私の地元で、良く歩いているところなので、今日の案内人は私です。
大仏鉄道は、明治31年に開業した、奈良と加茂を結ぶ鉄道で、伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客で賑わったそうですが、急坂の黒髪山トンネルで止まってしまったりしたため、関西鉄道の木津駅経由の平坦路線の開業とともに、わずか9年で廃止になりました。営業期間が短く、当時の資料も殆ど残っていないため、「幻の大仏鉄道」と呼ばれるようになりました。現在は木津~加茂間に石積みの隧道や橋台が残されているだけです。
最近、木津川市を中心に、わずかに残る遺構の保存や案内板の整備などが進み、美しい田園風景を楽しみながら遺構を訪ね歩く人も増えてきています。
私達は、8時30分に木津駅を出発し、新しくできたURの城山台団地の坂道を東に向かって登っていきました。
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団地の東北部一帯は、高槻から移転してきた京都大学農場が占めています。
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そのすぐ東、団地の東端にある良く整備された城山台公園は、大仏鉄道の遺構の近くなので「大仏鉄道公園」とも呼ばれています。
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道路を挟んでその東側に、大仏鉄道の軌道跡とそれを支える赤橋があります。
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そのすぐ北には、レンガ造りの梶ヶ谷隧道があります。この隧道は、現在も農道の一部として使われています。これら2つの遺構は、URの当初の計画では道路の建設で破壊されることになっていましたが、木津川市を始めとする保存運動のおかげで、道路は遺構を避けて迂回するように変更されました。
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そのすぐ北にある、鹿背山不動院を訪ねました。左手奥の不動院には、建武元年 (1334)の銘のある花崗岩に彫られた不動明王像が収められています(右手前は大師堂です)。
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グリーンハウス前の分岐点には、新しい道標がありました。右手の道を行きます。
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石積みの美しい鹿背山橋台です。100年以上も野ざらしになっていたとは思えない、堅固な造りで当時の姿のまま保存されています。
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そのすぐ先にある、観音寺橋台(手前)です。奥は現在使われている大和路線の線路です。
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さらに東へと向かい住宅地に入ると、高田寺(こうでんじ)があります。本堂の左手には、オオヤマレンゲが咲いていました。蓮華に似た芳香のある白い半球状の花で、奈良県の深山に自生するオオヤマレンゲは、国の天然記念物に指定されています。
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南加茂台団地の縁を回って浄瑠璃寺方面へと向かいます。のどかな田園風景を眺めたり、林の中を歩いたりする道が続きます。
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加茂青少年山の家の前の道を登っていくと、左手の谷の向こうに大きな岩に彫られた、阿弥陀磨崖仏があります。
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石仏を集めた大門石仏群です。
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首切地蔵です。
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バス道に出た所にある、藪の中三尊です。これらの石仏の古いものは、鎌倉時代のもので、修業を終えた僧が感謝の気持ちを込めて石工に彫らせたものだそうで、願主と石工の銘の彫られたものもあるようです。
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アセビなどの新緑の美しい浄瑠璃寺の参道です。
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浄瑠璃寺は雪の積もった時や紅葉もきれいですが、新緑もまた美しく、私の大好きなお寺で、今までに四季を問わず何十回と訪れています。国宝の三重塔です。
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最近浚渫されてきれいになった宝地と、九体仏を収めてある国宝の本堂です。
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岩船寺に向かう道の入口にある、あたご燈籠です。
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からすの壺二尊です。岩の左側にもう一体が彫られています。
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岩船寺に向かう山道を登っていきます。
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穏やかな笑みを浮かべた三体の阿弥陀仏が彫られた「わらい仏」です。
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笠置方面へ向かう道路に出るミロクの辻の大きな岩に、弥勒磨崖仏が彫られていますが、だいぶ消えていて良くわかりません。
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岩船寺の裏へ回る山道にある、三体地蔵です。
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岩船寺山門です。浄瑠璃寺は、本堂以外は拝観無料ですが、ここは山門を入るのに拝観料400円が要ります。紫陽花の季節なら拝観しても良いかなと思いますが、今日はここまでです。
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岩船寺左手の高台にある、白山神社です。この本殿は、国の重要文化財に指定されています。この境内で昼食休憩しました。
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南加茂台に向かう山道を歩いていくと、鎌倉時代から続き、今も使われている千日墓地の前を通ります。墓地の入口付近にある鳥居と十三重の塔は、鎌倉時代のもので、塔は国の重要文化財です。
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このあとは、山里の風景を眺めながら団地の縁を回って、加茂駅に向かいました。歩行時間4時間15分、歩行距離18.4Kmでした。
雨は夕方からの予報通り、昼過ぎまで晴れたり曇ったりで、気温もさほど上がらず、新緑の中を楽しく歩きました。近場で、何度も歩いた道ですが、今日のコースを通して歩いたことはなく、正確に距離を測ったこともなかったのですが、実際は思っていたより距離がありました。




個人的ウォーク | 10:25:00 | コメント(0)
甲府・昇仙峡
4月19日(木)晴

昇仙峡口バス停→長潭橋→羅漢寺→夢の松島→石門→仙娥滝→仙娥滝入口→ロープウェイ仙娥滝駅→パノラマ台駅→展望台→ロープウェイ→クリスタルミュージアム→(登りと同じ道)→昇仙峡口バス停(12Km)

GPSによる軌跡と高度です。高度図の中央、急坂部分はロープウェイです。
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松本の後、甲府にしばらく滞在しています。晴天の一日、郊外の昇仙峡に行ってきました。昇仙峡は、甲府駅からバスで30分位のところにあり、国の特別名勝にも指定されていて、昇仙峡観光協会によれば、「日本一の渓谷美」だそうです。9時45分に昇仙峡口に着き、渓谷沿いの道をロープウェイ乗り場まで、約6Kmを歩いて行きました。
昇仙峡入口に架かる、1925年竣工の美しいアーチ橋・長潭橋(ながとろばし)を渡ります。橋の全景と橋から見た上流側の景色です。橋の右手に新しい橋を建築中でした。
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道沿いに立っていた案内地図です。
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新緑の美しい渓流には、様々な形をした巨岩がゴロゴロ転がっていました。
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大仏岩です。
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ミツバツツジが満開です。
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渓流に架かる吊り橋です。
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橋を渡った所に、五百羅漢で知られる羅漢寺があります。
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本堂前の堂には、日本最古の木造羅漢像といわれる五百羅漢像が安置されています。
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しばらく登っていくと、昇仙峡の主峰・覚円峰を望む「夢の松島」に着きました。覚円峰(写真中央左)は、澤庵禅師の弟子・覚円が、畳が数畳敷ける広さの頂上で修行したことから名付けられたそうで、花崗岩が風化水食してできたもので、急峻で高さ約180mあるそうです。
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巨大な花崗岩に囲まれた不安定な感じの石門の下をくぐっていきます。
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切り立った崖と美しい渓流が続きます。
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昇仙峡の最奥部にある、落差30mの仙娥滝に着きました。ここは、駐車場からも近く、観光客で賑わっていました。
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土産物店の立ち並ぶ通りを抜けて、ロープウェイに乗りに行きました。
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山頂のパノラマ台駅からは、荒川ダムと遠くに甲斐駒ケ岳が見えました。
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山頂駅から少し登った所にある展望台からは、雲の上に浮かぶ富士山や、遠くに南アルプスの山並みがきれいに見えました。
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ロープウェイで下へ降りてすぐのところにある、クリスタル・ミュージアムに寄りました。山梨県は水晶の産地としても知られていて、様々な水晶などが展示してありました。入口に置いてあった、水晶の大きな原石です。
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渓谷への入り口にある公園の山桜が満開でした。
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この後は、登りと同じ道を通って昇仙峡口バス停まで、6キロの道を戻りました。
歩行距離(ロープウエイを除く)11.8Km、歩行時間3時間12分でした。天気も良く、渓谷美と山頂からの素晴らしい景色を満喫できました。仙娥滝近くまでバスが入っていますが、やはりこの渓谷は歩かないとその美しさを十分楽しめないようです。




個人的ウォーク | 11:12:19 | コメント(0)
山の辺の道から三輪山登拝
7月1日(土)曇時々晴一時雨

天理駅→天理本通→天理教本部→石上神宮→山の辺の道→内山永久寺跡→夜都伎神社→竹野内環濠集落→念仏寺→長岳寺→檜原神社→狭井神社→三輪山→狭井神社→大神神社→三輪駅(24Km)

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1707-00b-山辺の道-高度

山の辺の道は何度も歩いていますが、いつもただ歩くだけなので、今日は一人であちこち寄り道しながらゆっくり歩いて、前から一度行ってみたいと思っていた三輪山へも登ってきました。予報では一日中曇で9時ころ雨でしたが、朝から青空が出ていて、あまり暑くもなく歩きやすい一日でした。
8時55分に天理駅を出発して、駅前から天理教本部へと続く本通りを通って、石上神宮へ向かいます。
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明治10年から天理教のお神酒を作っている稲田酒造です。
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この通りは、天理教の門前町で、天理教の衣装や神具店が多く並んでいます。
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天理教本部です。
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歩道の真ん中の所々に、このようなプレートが埋め込まれていました。
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石上神宮の鳥居横の公園の前に、柿本人麻呂の万葉歌碑が建てられています。
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参道を歩いていった奥の鳥居です。
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参道横にも、柿本人麻呂の歌碑がありました。
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夏越し茅の輪が立てられていました。
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石上神宮は日本書紀に記される伊勢神宮などと並ぶ日本最古の由緒ある神社の一つです。鎌倉時代に建てられた重要文化財の楼門です。
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拝殿は鎌倉時代のもので、現存するものとしては日本最古で、国宝です。ここで、まず参拝です。
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拝殿の奥は、禁足地となっていて「布留社」(ふるしゃ)と刻まれた剣先状の石玉垣がビッシリと禁足地を囲んでいるそうです。もともとはここに本殿は無く、禁足地の土中深くには磐坐があって、神武天皇東征のときにあらぶる神を平定したという神剣・布都御魂剣(ふつのみたまつるぎ)が埋斎されていると言いつたえられ拝殿から遥拝されてきました。明治七年、菅政友大宮司によりこの禁足地が発掘され、言いつたえどおり剣一振りと管玉や勾玉・矛などの宝物が発見され、これを布都御魂(ふつのみたま)として本殿が造営され、祀られました(神宮のHPより)。禁足地に建てられた本殿です。垣の隙間から撮影しました。
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内側から見た楼門です。
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境内には多くの鶏が放し飼いされています。
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神宮から山の辺の道が続きます。
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三叉路や四つ辻ごとにこのような標識が立てられていて、道に迷うことはありません。以前はなかったので、わりに最近建てられたものと思います。
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芭蕉の句碑がありました。
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明治の廃仏毀釈により破壊されたという、内山永久寺の跡です。大変壮大な寺院だったようです。
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唯一残ったという本堂池です。
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柿畑が続きます。
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林の中の小道を進んでいきます。
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途中にあった、名もない神社です。このような小さな神社が数多くあります。
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天理の街並みが一望できるスポットが有りました。
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夜都伎神社に着きました。
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拝殿とその奥の本殿です。
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竹野内環濠集落への分岐です。環濠集落の方へ寄り道しました。
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今は、環濠はごく一部しか残っていないようです。その残っている環濠です。
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先の分岐点に戻って、山の辺の道をさらに南へと歩いていきます。所々に歌碑が立っています。
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念仏寺です。門を入った所に、変わった木が植えてありました。
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野道の真中に、休憩所が作ってありました。
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柿本人麻呂の歌碑です。後ろの山は、龍王山ではないかと思います。
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1707-39-山辺の道-IMG_0771b 歌碑説明

長岳寺です。ここはいつも素通りなので、今日はゆっくり拝観することにしました。花の寺としても知られていますが、生憎今はほとんど何も咲いていませんでした。
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重文の楼門です。
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楼門をくぐってすぐ左手に、本堂があり、阿弥陀三尊(重文)や多聞天、増長天(重文)など、美しい仏さんが並んでいましたが、撮影禁止なので写真はありません。本堂の外観の写真も撮り忘れました。
さらに奥へ行くと、弘法大師を祀った拝堂がありました。
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その奥の急な階段を登っていくと、大きな石に掘られた、大石棺佛がありました。
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庭園に立っている鎌倉時代の十三重塔です。
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放生池です。その向こうに楼門と本堂の屋根が見えます。
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入口近くの旧地蔵院です。今は庫裏になっています。
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庫裏の中にある、延命殿です。
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庫裏のかまどが並んでいる横にテーブルが置かれていて、そうめんを頂けるとのことで、早速昼食に頂きました。美味しかったです。
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長久寺をあとにして、さらに南へ歩き出すと、雨が降ってきました。大した雨でないので傘でしのぎますが、降ったりやんだりなので、傘を広げたりたたんだりしていると、1時間位で止んで青空が広がってきました。龍王山への道との分岐です。右の石畳に道を下っていきます。
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大神神社の摂社で、三輪鳥居(三ツ鳥居)の美しい、檜原神社です。檜原台地に立つこの神社は、拝殿も本殿も無く、鳥居の奥は山です。
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鳥居の反対側の正面に、二上山が見えます。
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さらに林の中の小道を南へ行きます。
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狭井神社に着きました。
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参拝をしたあと、三輪山登拝の手続きをして鈴の付いたたすきを受け取り、大神神社の御神体である三輪山へ入ります。登山口の鳥居をくぐったあとは、写真撮影、水分補給以外の飲食など一切禁止です。したがって、下山するまでの写真はありません。
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登山道は、殆どが階段で、自然石を積んだものも多くありました。直前に降った雨のため濡れていて滑りやすく、かなり急な道も多くて登りは思ったよりしんどかったです。素足で登っている方も、多く見かけました。私の直後から来た十数名の若者男女は、全員素足でした。道はよく整備されていて、石も表面が平らなものが多く、素足でもそう痛くはなさそうでした。真似をする気は毛頭ありませんが。頂上は岩が並んでいる神聖な所で、中へは入れません。頂上も、途中の道も眺望はまったくなく、ただひたすら神聖なお山に登らせていただいているという気持ちです。下りは特に滑りやすく、気を使いました。所要時間は、登り65分、下り42分でした。

狭井神社から少し歩いて、大神神社です。本殿正面に「夏越し茅の輪」が、ここでは3つ連なっってあり、通り方の説明があったので、その通りにくぐりました。
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神社の参道入口です。裏から入ったので、正面から出て、三輪駅に向かいました。
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所要時間7時間6分、歩行時間5時間32分、歩行距離24.3Kmでした。寄り道をしながら歩くと、意外と時間がかかりましたが、お天気もまずまずで、念願の三輪山にも登拝でき、充実した一日でした。
2日の日曜日は、琵琶湖10回割の6回目です。





個人的ウォーク | 19:46:35 | コメント(4)
海住山寺
6月24日(土)曇

加茂駅→恭仁大橋→恭仁宮跡→加茂神社→デ・レーケ堰堤→加茂神社→海住山寺→瓶原→恭仁大橋→加茂駅(10Km)

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ここ数週間、都合でウォーキング等に出かけられていませんが、今日は、昼から近くの海住山寺(かいじゅうせんじ)へ行くことにしました。一般には車道を登っていくようですが、ちょっと分かりにくいのですが、別に登山道があります。
自宅を出て、加茂駅前を13時27分に通過、恭仁大橋へ向かいました。加茂駅前(東側)です。
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恭仁大橋から見た、木津川上流と下流です。
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橋を渡った所に、大伴家持の恭仁京を讃える万葉集の歌碑があります。
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その先を左手の細い道に入り、瓶原(みかのはら)の田圃の中の道を北へと進み、国道の下をくぐって恭仁宮跡へと向かいます。
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恭仁京は、奈良時代(740年)に聖武天皇によって、平城京から遷都され、大極殿などが平城京から移築されましたが、4年余りで難波宮に遷都されたという、短命の都です。その後、大極殿は山城国分寺の金堂として再利用されています。国分寺の七重塔の基壇跡だけが残っています。
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大極殿跡の一部には、恭仁小学校が建っていて、学校の敷地内に「大極殿跡」の石碑が立てられています。恭仁京跡が発掘される前に小学校が建ったようで、一帯が国の史跡に指定されたため、校舎の建て替えができずに昭和初期の建物を耐震補強などしながら今も使っています。
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小学校の裏には、大極殿の礎石の一部が残っています。
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北に見える山(海住山)の中腹に、海住山寺があります。
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大極殿跡の北は、天皇の住居である内裏があったと考えられています。
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さらに北へ行ったところにある、案内板です。海住山寺とある右の道は、車道へ続きます。分かりにくいですが、登山道は左のデ・レーケ堰堤とある方です。
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山手に入っていくと、このような案内板がありました。
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山道を進みます。
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小さな加茂神社です。登山道は、この前を右手に登っていきます。
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案内がないので分かりにくいですが、左手の荒れた道を少し入っていくとデ・レーケ堰堤があります。
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デ・レーケ堰堤です。デ・レーケは、明治6年に御雇工師として招かれたオランダ人技師で、日本各地で砂防や治山工事を指揮して、堤防や堰堤を築いていて、現存するものも多くあります。何故、加茂の山中にデ・レーケが堰堤を築いたのかは分かりませんが、今は全く使われていなくて、荒れるに任せているようです。数年前に来たときには、まだきれいな石積みの全貌が見えていて、こんなに荒れていなかったのですが、貴重な遺構としてもう少し手入れできないものかと思います。
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その先にも道が続いているので、少し行ってみると倒木などで覆われていて、途中で道がなくなっていました。
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加茂神社まで引き返して、右手の登山道へ入ります。雑木林の中の気持ちのよい道が続きます。
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15分ほどで海住山寺境内への道との分岐に着きました。境内に入るには、入山料100円が必要です。このまま真っ直ぐ行くと、境内を迂回できます。
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すぐ横に、罠が仕掛けてありました。猪や鹿が出るようです。
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境内への道です。
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境内へと続く階段を登っていきます。
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海住山寺本堂(重文)です。海住山寺は、奈良時代、恭仁京造営に先立って、工事の平安を祈るため海住山中腹に建てられのがその起源で、その後廃れた後、鎌倉時代に貞慶によって中興されたものです。現存の建物は、その頃のものです。
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国宝の五重塔です。鎌倉時代のもので、総高17.7mと、室生寺に次いで小さい塔で大変美しい姿をしています。年に一度、秋に内部が公開され、拝観に行きましたが、初重の内陣は厨子風に造られ、8枚の扉に一体ずつ、華麗な彩色で梵天・帝釈天などの天部や比丘像が美しく描かれていています。
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重文の文殊堂です。
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本堂横に「持ち上げ大師」というものがあり、持ち上げて願を掛けると叶うそうで、持ち上げてみましたが、10Kg足らずくらいで、思ったほど重くはなかったです。
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その前の道を登っていくと広場に出ます。眺望が開けて加茂の街がよく見えました。この右手の道から、三上山(さんじょうさん)や神童寺へ行くことができます。
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帰りは車道を下りることにしました。少し下った所にある山門です。
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車道は、コンクリート舗装の大変急な坂で、ヘアピンカーブの連続ですが、あっという間に下りられます。
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このあとは、瓶原を通って、来た道を加茂駅前まで戻りました(15時53分着)。
所要時間2時間25分、歩行時間1時間56分、歩行距離9.2Kmでした。久しぶりに山歩きをちょっぴり楽しみました。
余談ですが、「山」を「せん」と読むのは、関西では珍しいですね。鳥取、島根、岡山県北部には、大山、蒜山、弥山(鳥取、島根、山口、広島の他、奈良にもあるようです)などたくさんあります。全国の「せん」と読む山を調べた人があって、全部で70あまりあるそうで、その大半が上記3県に集中していて、一部佐渡と隠岐にもあるそうです。どうも渡来人に関係しているらしいです。







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